昨日の朝のニュースで知ったのですが、インドネシアの大地震や津波の後は略奪行為が多過ぎて警察も止められない状況と。
その件についてTwitterで自分もボヤいたのですが。何度も大地震に襲われている日本ではほとんど略奪が無いのに、何処で違いが生まれるのか。
海外暮らしのフォロワーさん曰く「教育の差」では?との指摘でした。
ただ、特別な教育を受けた記憶は無いですし、大人達の振る舞いを代々受けて継いできたからなのかなぁと自分は思っていて。
まぁ、教育は教室の中に限ったワケでは無いでしょうし、広義には教育なのかも知れません。
その件についてYahooニュースのコメント欄を確認すると「日本のように貯金や備蓄が無い国なのだから生きるためには多めに見てあげよう」的な書き込みも。
一理あるとは思ったものの、納得しきれない意見でした。
江戸時代の都市は幾度も大火に襲われ、その日暮らしが普通だった時代、庶民は助け合って復興に励んだそうですので。
日本で大震災が発生する度に略奪がほとんど起こらない件は、海外からも注目されているらしいのですが、やはり日本が特殊なのかなぁ。
勿論、日本でも全く略奪が無かったワケでは無いですが、その機会に略奪をしてしまうような人は普段から犯罪に近いことを平気でやっていそうで。
ごく普通に暮らしていた人が変貌してしまう様なことは少ないかと。
話が少し飛びます。これもTwitterでボヤいた話です。
「東欧にはフェイクニュースの村がある」的なドキュメンタリー番組を数ヵ月前に観ていて。
フェイクニュースをサイトに掲げてアクセス数を増やすと、莫大な広告費が手に入るそうで。儲かるものだから親まで協力的だったり、村にはフェイクニュースの先生まで居るそうで。
日本では考えられないことだよなぁと。親が知ったら叱って普通だと思うんです。
「騙される方が悪い」的な考えが根底にあるらしく。ここに大きな違いがあるのかなぁと。
実際、そんな考えが当たり前になってしまったら、社会が成立しないのでは?と思いつつも上記の村は成立している様子。
日本で云う「当たり前だろ」が全く異なるというか。
日本人は「お人好し」と馬鹿にされてしまう風潮もあったりですけれど、自分はそんな日本の方が好きです。
そうでないと、何もかも疑いながらの日々になってしまいますし。
更に話が飛んでしまいますが、パソコンのハッキングが世の中に無ければセキュリティーソフトも不要で、パソコンの動作はもっと快適になるのになぁと。
特に古めのパソコンから最新のセキュリティソフトをアンインストールすると、あれだけモッサリしていた動作が劇的に改善したりで。
疑い前提の処理が裏で走っているから、資源を無駄に消費している一例かなぁと。
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