山本直純さん

三十路の頃からどうにも懐古調な部分が自分にありました。
というか、子供の頃から古い文学とか好きだったのですけれど、自分の経験してきた範囲でも当時を懐かしむ傾向が強くなってきています。

ここしばらく気になっているのが山本直純さんです。
「オーケストラがやってきた」という番組が昭和の終わり頃にありまして、毎週日曜の朝はその番組が楽しみでした。
Youtubeでも動画が幾つか残っていまして、久し振りに観たところ、やはり面白かったです。
もう、時代背景など関係ない世界。

Wikipediaで確認したところ、やはり天才だったのだなぁと。
触れる機会の少ないクラシック音楽を大衆にも親しませた功績は大きいと思っています。
ただ、当時から駄目な部分も話題になっていました。お酒にまつわるトラブルが多かったらしく。
自分の高校時代の音楽の先生も昼間から酒臭かったのですが、芸術家肌の人は社会人として大人として駄目な部分が多いのかも知れません。天才だから許される場面は近代ほど少なそうで。
この音楽の先生のことも、何かの機会に綴ってみたいです。

クラシックの世界で「現代音楽」と呼ばれるのは自分でも取っつきにくいのが実際多いです。これの何処がいいの?な。
しかし、山本直純さんの知られた曲は難解さが少なかったと思います。不協和音は効果音程度で。

ちと、懐かしい曲や場面を羅列。
すばらしい世界旅行
知られざる世界
ミユキ野球教室
SHEENA AND THE ROKKETSとの共演
さだまさしとの共演
日本船舶振興会のCM
オーケストラがやってきた(音声のみですが、トークがなかなか面白く)
・当然のことながら「男はつらいよ」のテーマソングも山本直純さんです。

と綴ってみたところ、週末に放映される番組で使われる傾向が高かったのかなぁとも思えます。
そういえば、自分の兄の声も山本直純さんに似ていたなぁ。

脱線な話題となりますが、亡くなってしまった方の兄は小学生の頃に地元の合唱団で活躍していました。川越少年少女合唱団だった記憶です。
現在はどうなのか存じませんが、70年代のその合唱団は市内の各小学校から才能ありそうな子供を集めていたそうで、川越市民会館でコンサートを幾度か自分も観ていて。
その繋がりで、クラシックのコンサートに触れる場面が自分は多かったです。自分が最後にオーケストラを観たのは大学時代で、今思うと幼少期はけっこう文化的というか贅沢してたんだなぁと。
日本フィルハーモニー交響楽団(新の方ではない)とのジョイントコンサートみたいなのも当時観ていました。(新の方は山本直純さんも関わっていたそうです)
その演奏終了後、舞台裏で楽団員の方々がしくしくと泣いていたと兄から聴いていました。
大の大人が揃ってどうして泣いていたのか不思議で、兄に尋ねてみると「スポンサーが居なくなってしまい、これが最後の演奏になってしまうかも」のような説明でした。
音楽で食っていくのは大変なんだなぁと気付いた最初の出来事でもありました。

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