若者と単車、運転の慣れとか

単車が売れないという状況は十年以上前から続いていて、未だ回復の目途はたっていないそうです。
特に若者が単車に興味を示さないらしく、現在の購入者の平均年齢は50歳を超えているとか。
若い人達は運転とか旅とか、単車そのものに何故魅力を感じなくなったのか、自分には理由が分からないです。

少なくとも自分の高校生時代、周りほとんどは単車に興味を持っていました。
まぁ、単車の全盛期で毎月のように新型車が登場していた1985年頃でした。
自分の通っていた高校は当時校則が緩く、人に迷惑を掛けない範囲では何でも許されていました。
ただ、単車だけは原則禁止でした。一期上の世代は途中まで許されていた様ですが、事故で片足を失ったり顔面を崩壊させてしまった女子生徒が居たらしくルールが変わった様です。
それでも、隠れて乗る生徒は居ましたし、問題を起こさない限りは見て見ぬふりをしていてくれたとも思います。
その中の一人も自分で。

アルバイトで貯めた費用で乗れるのは原付程度でした。
教習所に通わずペーパー試験だけで免許を取れるのと、中古の単車なら十万円未満で入手できたからです。
お金の問題より、親を説得する方が大変ではありましたが、迷惑は絶対に掛けないという約束で何とか許されました。

で、初めての単車はカワサキのAR50という2ストロークの空冷エンジン。それの中古を7.5万円で入手しました。
見た目はそれなりに綺麗でしたが、中はかなり傷んでいたようでした。まぁ比較対象が無かったので、当初はこんなものかな?と。
ともかく、単車屋さんで入手してから帰宅するまでは一苦労でした。
エンジンは掛かったものの、走り出そうとするとエンストの繰り返しでした。

元々ピーキーなエンジンで低回転ではトルクもスカスカだったと思うのですが、過去にピストンが焼き付いていたらしく、尚更下はスカスカで。
半クラッチの状態を上手くコントロールしながら、アクセルを上げていくタイミングがなかなか掴めず。
そんな状況で信号が青に変わる度にエンストしつつ、どうにか帰宅したものの、これを使いこなせるようになるのか心配は膨らみました。

それでも一週間ほどで、扱いには慣れてきました。自転車で行くには坂道も距離もキツかった湖(支笏湖)までこの単車で初めて伺えた時は、妙な達成感もあり。
また、自分で色々メンテナンスした結果、マフラー(2ストの場合はチャンバーと云うべきか)の芯のカーボン詰まりを除去した結果、エンジンもかなり元気を取り戻しました。
それでも、単車仲間の乗るRG50Γに比べると非力でピーキーなエンジンではありました。RG50Γは下からパワーが出ていて相当乗り易かったです。

夏休みには積丹半島の知人の家までツーリングに出掛けられたり、行動範囲というか世界を広げてくれた頼もしい道具なAR50でした。
当時はノーヘルでも運転が許されていたので、風呂上がりのドライヤー代わりに外を少し流してみたり。これが気持ち良くて。
あと、近くのスーパーで母親が買い物し過ぎた時は荷物運びに幾度も呼び出されたものでした。単車を許してもらえたお礼替わりでもありました。

北海道の束の間の暖かい季節は、高校のつまらない授業など勿体ない時間にしか思えず、午後の教科がどうでも良ければ抜け出して制服のまま支笏湖まで伺うこともしばしば。
支笏湖ではイモテン(ジャガイモの天ぷらの串刺し)を二本平らげ、煙草でイップク。
空気も美味いし湖は美しく。至高の時間でした。

自分の周りで原付に乗る仲間の半数はクラッチレスのスクーター所有者でした。
その連中は時々自分の単車を借りに来ていました。乗り比べも含めて妙な共同体、返却時はガソリンを満タンにするという暗黙のルールもあり。
最初からちゃんと走り出すのは難しいので、初めて乗る友人には路上でちょっとした教習から入りました。
また、他のちゃんとした単車に比べてタイヤもグリップしないしブレーキも効かないから、どうしても飛ばしたいなら走り慣れた直線だけにしてと。

そんな中、デカいの借りれたから乗ってみるか?と誘われることも。
駐車場で待っていたのはカワサキのザッパーという650cc。
同じカワサキの単車といえども、車体の大きさから何から全く別物でした。レーサーレプリカ全盛期の時代にかなり古さを感じた大型車でした。
実際、跨ってもデカく、いつものAR50の調子でアクセルを上げつつ半クラッチで走り出すと、
大きな車体は猛加速でいきなりウイリー!

アクセルを戻し前輪も着地させ、どうにか姿勢を保ち、ともかく倒す前に停めねば。
早く、二本の脚で地に立ちたい。地に戻りたい。
死ぬかと思いました。数秒の出来事でしたが、未だ鮮明な時間です。

貸してくれた友人から「おまえ危ないよ!」と怒られましたが、本当に危なかったです。
排気量とかパワーとか十倍も違うと全く別の乗り物でした。こんなに違うとは全く未経験で。車重も三倍くらい大きかったと思います。
自分でも危険を感じたので、これ以上乗ろうとは思いませんでした。
限定解除の免許は当然持っていませんでしたし、駐車場内の出来事でしたが、死ぬかと思った経験の一つとなりました。

昨日のニュース記事で「宮古島の17歳女子高生2人乗りの単車が事故で死傷」というのが目に付きました。それでこの記事を綴っています。
まずはお悔やみ申し上げます。
免許はちゃんと持っていたのか、タンデム(2人乗り)なら免許取得から1年は経っていたのか?といった部分は謎な記事でした。
そんなことよりも、先ずは十分に乗り慣れていたのか?が気になりました。
単車を乗り換えた時の扱いの差は大きいと思っていますし、タンデム走行では止まるのも曲がるのも相当な違いを感じます。
実際、タンデム走行では運転手の疲れ具合も3倍以上大きいと思っていますので、走行距離100km未満を自分は目安にしています。
ソロ(1人乗り)でも、周りの急な状況変化(突然の横風で流されるとか、前の車が急停止したとか)によっては突然危ない思いもしますし、そんなのを幾度か経験してからでないと、タンデムはともかく危険で。

自分は大学生時代に単車の中型免許を取り、その後も色々な単車に乗り、ヒヤッとする場面は幾度もありました。しかし、無駄な経験にしてこなかったのか、事故を起こしたことはほとんどありません。(1度だけガードレールと自動車の間に挟まれた程度:こちらの存在を気付かれない状態でウインカーも出さずに幅寄せを喰らいました)
悲惨な事故も幾つも観てきました。大体はカーブを曲がり切れずな場面でした。

この記事の締めに何綴るべきかちと浮かびません。
でも、綴っていて気付いたのですが、高校生でも手が伸びそうな単車らしい単車というのは、もう簡単に入手できない時代なんだなぁと思います。
50ccでクラッチ操作の必要な単車は、もう新車で入手出来ないでしょうし、程度の良い中古はかなり高価になっている様子です。
自分は良い時代を経験できたのかなぁとも思っています。
原付の免許取得から、もう34年も経つんだなぁ。

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