顔のYシャツ。
脳天のアンテナが、タケコプター気味。 pic.twitter.com/3ggd4b74ij— SUKIYAKI (@SUKIYAKI) December 10, 2016
顔のYシャツが店を閉じたそうです。
数ヶ月前には知っていたのですが、何だか実感がわかず。
昨日までの数週間、店舗跡がアートスペースとして公開されていたそうです。
顔のYシャツとの出会いは87年の上京時。
神保町の書店街で珍しい本を漁っていた土曜日でした。
当時はインターネットなど無く、田舎の図書館よりも巨大なこの専門書街に度肝を抜かされていました。
房総半島がやたら巨大化した古地図を売る店もあれば、ビルのワンフロアがエロ物な芳賀書店もあれば。
ガイドブック無しに、偶然の出会いに感激する土曜日でした。
何故に土曜日だったかというと。
当時は土曜日が半日仕事の日で、午前か午後かに出勤で。
特に午前中に出勤の日は、午後から空いた時間に神保町の探索が楽しみで。
御茶ノ水の職場から徒歩圏でしたし、夜の大学に通うには時間を持て余し気味で。
ともかく、あらゆる書物のアンダーグラウンドを備えた街は、好奇心の賜物で。
近寄り難かった寺山修司の半乾きな世界観がそこに生きていて。
楽器街と書店街の交差点から靖国通りをゆるく西側へ進む土曜日でした。
九段下まで到達した後は、交差点から靖国通りの東方面へ。
スポーツ用品店が多かったものの、そのエリアも当時は書店がそれなりに残っていた記憶です。
まぁ、速足で進んだ先に「顔のYシャツ」が。
いったい、いつから営業しているのか分からないノスタルジックな大きな顔の看板。(検索したところ、大正時代からだそうで)
この看板の存在感は偉かったです。小川町のあの界隈は立派なビルだらけで、そこの谷間にずどんと腰を下ろす店構え。
大学を卒業したら、ここのシャツを買ってみたいと。
いつでも待っている顔のYシャツだったので、遂に買いそびれた感です。
社会人になった自分はブルックスブラザーズのボタンダウンばかり選んでいました。
秋から冬の御茶ノ水界隈が自分はいまでも好きです。
迷える青春の香りがそこに残っていて。
平成に入ったばかりのイカ天でも、あのヘンテコバンドの歌詞に顔のYシャツが登場していました。
人間臭いこいつらもインパクト受けていたんだなぁと。
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