うるう日

一昨日の友人との再会時、友人は珍しいカメラを持参していました。
古い二眼レフRolleiflex 2.8Cという機種だそうで。フィルムも35mmでは無いサイズ、自分の触れたことの無い世界です。
今時フィルムカメラを使う人も珍しいのですが、更に白黒で特殊サイズのフィルムを使用というと、相当な凝り具合。
自分もフィルムカメラを二台残しています。どちらもNikonのFM2で、片方は知人から頂いたものです。しかし、かれこれ十数年フィルムを通しておらず。
ひょっとしたらフィルムを通したまま、放置しているのかも知れませんが。

フィルム代とかプリントアウトするまでのコストとか時間とか、割に合わないのが使わなくなった理由でもありました。あと、写真をWebで公開するにも更にスキャナーに掛けたり。
その際にはゴミも拾ってしまったりで、面倒臭くもあり。
ただ、フィルムカメラですと「一撃で仕留めるマタギの精神」的な撮影を強いられたので、無駄な撮影は少なかったです。
逆に、デジタルカメラですと試し撮りとか駄作の量産でもありまして。ファイルサーバーの中を占める写真は、使い道の無い撮影が多いと自分でも理解しています。

帝釈天の参道で、友人は自分の写真も撮ってくれていました。
今夜、SNS経由で送って頂き。

撮られていたのは全然気付いておらず、ちと驚きでしたが、ぜんぜん意識していない自分の姿がこれだったようです。
二眼レフですとカメラを胸の高さ辺りに構えて上から覗くファインダーで撮影するようでしたが、大人を撮影した場合は子供の目線な構図になるんだなぁと。
自分が誰かに撮って頂く機会は一年に一度あるか無いかくらいのことですし、使用機材も含めて珍しい経験になりました。
だいたい、再会したその日も四年に一度の「うるう日」で。

十年以上再会していない友人が自分には何人も居ます。
本音としては親友なのですが、恥ずかしくてそう綴れず。だいたい、相手も親友と思っていてくれているのか分からんですし、それを聴くのは更に恥ずかしく。
今年は機会があったら、何人かと会っておくべきなのかなぁと思えたりでした。機会があったらという気持ち自体、駄目だよなぁとも。

大学の卒業が近かった頃、自分はお世話になっていたお店で災難に見舞われています。
助けを求められて助けただけだったのですが、結果的に強盗傷害事件の第一発見者になってしまい、虫の息だったお店のマスターは生きるか死ぬか。
他の証言を得られなかった自分は取り調べの途中で、ほとんど容疑者扱い。机の向かいの無礼な警察官とは大喧嘩になってしまい。(結果的にマスターは助かり、自分の無実も証言して頂けたのですけれど)
深夜の事件で自分は助けることしか頭に無かったものの、次の夜は怖くて眠れなくなってしまい。東南アジア系の複数犯だったらしい犯人はマスターを殺すくらいの刺し傷をくわえていましたし、それを助けた自分がひょっとしたら逆恨みされるんじゃないか?と。
一昨日再会した友人は、そんな場面で自分を助けてくれていて。
面倒なことに巻き込まれたら、見放す人が多いと思うんです。特に今時ですと。

既に三十年近く前の出来事ですが、久し振りに「そんなこともあったなぁ」と。
あのとき、救助を手伝って頂いたマンションの住民の女性もしばらくはトラウマになってしまい。夜が怖くて部屋で一緒にタコ焼き食べてしのいだり。
あの姉さんにも会わなくちゃなぁ。

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