素晴らしき公共サービス

本日のこと、柴又の隣駅である金町へ伺っておりました。金町へはこれまで幾度も伺っていたものの、大発見がありまして。
葛飾区の中央図書館というのが金町にあるのですが、専門書がどれだけ揃っているのか確かめに伺ったところ、図書館の広さに驚いた次第です。
二十三区内でも葛飾区というのはかなり東京らしくなく、文化面も期待していなかったのですが、これは大きな誤算でした。
内装も綺麗で、本の整理もしっかりしていて。更に、利用者の方々も皆小綺麗で知性に溢れている印象でした。

途中で返信を急ぐ電子メールがスマートホンに届いてしまい、15分ほどしか居れなかったのですけれど、もっと色々観てみたい心境でした。
残念なことに、技術系の資格に関する書籍は少ない印象でしたが、自分の調べが甘かっただけかも知れません。時間が許されれば明日も伺ってみたく。

前回の記事にも綴りましたが、知人の娘さんの音楽教育に適していそうな材料が無いかも図書館で軽く見渡していました。
そんな中で、これまた驚きの発見が。

バンドスコアがけっこう豊富だったんです。それもハードロックなレッド・ツェッペリンのスコアがかなり充実していて。
公共の図書館に如何わしいエロ本が堂々と並んでいるくらいの発見と申しますか、何故ここに?でした。
どういった基準で選ばれたのか分かりません。ひょっとしたら寄贈なのかも知れず。
しかし、バンドスコアはけっこう高価ですし、元々個人所有だったとしても音楽活動をされていたのなら、本人が死なない限り手放さないと思うんです。
スコアの中には絶版で中古価格が恐ろしい値段になっている部類もけっこうありますし。
レッド・ツェッペリンをリアルタイムでやっていた世代であったなら、自分よりも年上だとは思いますが、まだ老衰する歳でもないでしょうし。
ドラムのジョン・ボーナムの如く突然逝ってしまったのかなぁとか、色々と想像が膨らんでしまいました。

万一、自分が突然死してしまったら、自分の所有しているスコアも地元の図書館に寄贈したいなぁとか思いながらの帰宅でした。
けっこう貴重なスコアもあるんです。自分の耳ではコピーが出来なそうなフレーズやコードもかなりしっかり押さえられていて。
CDについては、親しい方々に持って行ってもらいたいです。こんなのを聴いていたんだなぁって。
まぁ、しばらく死ぬことは無いと思いますが。

話が飛びます。
二十五年ほど前のこの季節に、道東の役場でコツコツ働いていたイトコがポックリ逝っています。自分の身内で自分より若いのは当時少なく、「圭介兄さん」と呼んでくれるのは奴一人で。
当時、道東方面で大きな地震があり、土木課に所属していたイトコはそれまでの生活が一変してしまい。ずっと平和だったのが、ライフラインの復旧で数年間寝る間を惜しんで働いていたんです。
イトコが生きているうちに再会できたのは亡くなる半年ほど前でした。奈良の爺ちゃんが亡くなった際の葬儀ででした。
数年ぶりに再会したイトコは逞しくなっていたものの、白髪も目立ち体型も自分より細いくらいになっていて。
元々は子犬の様にコロコロしていたいつも笑顔の少年だったんです。誰からも愛されるキャラクターで。
「いま仕事が大変だって聞いてはいたけど、それじゃヤツレ過ぎじゃないかよ」とか、葬儀場から近いホテルで語り合ったり。
イトコは一年後に結婚の予定だったので、地域住民への貢献共々頑張っていたそうでした。
理不尽なクレームも多かったそうですし、ここで綴れないような内容も少し聴いていました。

自分が当時勤めていた会社の本社に移動して数ヵ月経った一月の中旬に、突然の電話が職場にありました。
兄からの連絡でイトコが死んだと。車が好きだったので、交通事故に巻き込まれたのかな?と思ったのですが、過労死だったらしく。
大きな地震のライフライン復旧が片付き、その報告書を明け方まで片付けていたそうです。
書き上がったその朝、古い建物の寮の部屋から起きてこなかったらしく。

翌日に自分や身内が駆け付けたのですが、布団に横たわったままのイトコは普通に寝ているだけの姿にしか見えず。
風邪気味だったそうで、鼻のまわりは少し赤かったですが、それがまた単に寝ているだけにも見えて。

夕方くらいから部屋の片づけを手伝いました。プライバシーな部分はなるべく触れないように。
最後辺りに机の引き出しの整理となりました。その引き出しの奥から出てきた本のタイトルが皆の目に留まりました。
「上司を殴らなくて済む方法」のようなタイトル。本があまり無かった部屋だったので、余計に目についてしまい。
色々と大変だったんだなぁと。

お通夜は氷点下二十度以下だったのに、同世代の若者達が何時間も外で待っていてくれて。まだ若過ぎたのもありますが、数百人の参列者はイトコの人徳もあったと思います。
火葬場に向かう途中でイトコの勤めていた役場を身内の車列が横切りました。地方にしてはかなり立派な役場でした。
数階建ての庁舎、職員の皆さんが全ての階から並んでこちらに頭を下げている姿が廊下の窓越しに伺えました。

この人達、恨んではいけない。

火葬は地域によって仕来りも異なるようなのですが、自分は棺桶に釘を打つことが出来ませんでした。イトコのご両親からもお願いされたのですが、まだ生きているようにしか思えず、謝るしかなく。

煙突から出てくる煙を、足跡の無い雪の広場から眺めるしかありませんでした。隣にはイトコのお父さん。何の会話も無く眺めていました。
半年後に披露宴の予定だったんだよな。

自分も、あれから無茶な仕事っぷりは避けるようになりました。しかし、簡単に変えられるものでもなかったよなぁと思い出しつつ。
あれから更に倍の人生を自分は健康的に生かせてもらえて。そのイトコのお陰だと思っています。

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