昨日の二軒隣りの事故で、ご近所さん達も動揺されている状況です。
当日よりも翌日の方が警察の車両も目立っていた感で。尤も、自分は当日の一番騒がしかった時間帯にその場に居なかったのですけれど。
お隣の一軒家は現在お婆ちゃんが一人暮らしで、徒歩数分の場所に娘さん夫婦とお孫さん達が暮らしています。
去年までは皆さんお隣の一軒家で暮らしていたのですが、広い庭まで陽当たりの良い一軒家を娘さん夫婦が見つけたそうで。
お婆ちゃんはいつも腰が低くて言葉遣いも丁寧で。三年前に自分が引っ越してきたとき、挨拶を兼ねて図書カードを持参したりで。
その年の暮は、庭で実った柚子を頂けたりで。普段はシャワーしか使っていない自分、大晦日の夜はバスタブに柚子を浮かべたり。
そのお隣さん、夜になると日付が変わる時間くらいまでだいたい灯りがついているんです。自分が煙草を頂くのはベランダで、お婆ちゃんは今日も無事だなぁと。
「だいたい」というのは、稀に真っ暗な夜もあるもので。これはちと心配でもあるのですが、数日以内にまた灯りがついていてちとホッとしたり。
その後歩道でお会いすると「電気が消えていたんで、ちょっと心配していたんですよ」なんて会話も。
お泊りの人間ドッグに行っていたとか、娘さん宅に泊まっていたとかだそうで。
「何かあったら大声出してくれたら直ぐに飛んでいきますから」なんて冗談も交えたり。
遠くの身内より近くの他人な場面って自分も色々経験していて。引越す前の環境では、酷い風邪で寝込んでいたら鍋焼きうどんを差し入れに頂けた経験とか忘れられず。
そのお隣さん、二晩続けて電気が消えたままなんです。昨日の事故がよっぽど堪えたのかなぁと。
娘さん夫婦のご自宅は駅まで続く細い道に面していて、いつでも挨拶は出来るので、日が明けたらちょっと玄関まで伺ってみるべきかなぁと。
道を隔てたご近所さん達も、動揺している様子でした。
ニュース記事は目立たなく、何があったのかよく分かっていない状況でしたし、集まっているところで「こんな記事がありました」と伝えたり。
まぁ、余計なお世話だったのかもしれませんが、少なくとも憎しみ合って亡くなられた二人ではないだろうと。
事故の背景なんて分からないですし、息子の自殺を通報した母親も追うように自殺した流れも謎ではあります。
今年建ったばかりのアパートは若者向けの広くない作りで、そこで四十代と二十代の母子が暮らしていて。
二人の発見が遅れてしまったら、抜け殻(亡骸という言葉は使いたくなく)も部屋も必要以上に傷んでしまったのかと。せめてそれは避けたかったのかなぁと。
勝手にそんなことを思う今宵でした。
この地域でもう少し長く暮らしていたら、何か別の選択肢もあったのではないかなぁと思っています。
お隣さんどうし、もう少し信じられたのかもしれなくて。
冷え込む今宵、お月さんはまん丸に近く。
コメント
2回続けて、切ない話だった。
人の死の話題になるとどうしても、菊地のことを思い出し考えてしまう。
ルノワールさん
菊池君のことは今でも時々思い出しています。一昨日も古い画像を探していたら、菊池君が部屋に遊びに来ていた場面が。
色々と才能あったのに勿体なかったよなぁと。状況が分かっていたなら無理してでも東京に引っ張るべきだったのかなぁと。
奴の家は父親がクソだったせいで、自分の進みたい道や、学びたい勉強を一切させてもらえなかったようだ。
奴自身は母親想いだったが、俺の印象では母親も共依存みたいな感じで、結局奴の未来を自由にしてあげられなかったんじゃないかと思う。
今となっては、やり切れない話です。
ルノワールさん
アルコールで早死にした方の兄は亡くなる直前に子供の頃の嫌な思い出を家族に語りがちだったらしく。三人兄弟の二番目は損してばかりだった等。
ただ、四十代にもなってそのせいでこうなったとか、どうにも理解してあげられずでした。兄の残された子供達までそんな考え方になってほしくなくて。
三男の自分の場合は高校を出た時点でほとんど束縛が無かったので、まぁ助かったかなぁと思えるフシはあります。自分で全部選択してきたので。
菊池君の場合も、物理的にでも親との距離を置いていたらなぁと悔やんでいたりです。ともかく、忘れられた存在にならなかっただけ幸せなのかも知れず。