技術マニュアルとか仕様書を綴る部署に異動した直後に、本社の入っていたビルの地下には書店があり、昼休みは立ち読みを楽しみにしていました。
そこで気になった本があり、購入してみると参考になる例が多く。本のタイトルも忘れてしまい、当時の同僚に貸したら返ってこなくて。
もう一度読んでみたい文章なのですが。
「名文と悪文」みたいな内容の本でした。「名文と駄文」ではなくて。
では、悪文と駄文の違いは何なのかというと、駄文の方は誤解を招きやすい文章でした。
名文と駄文の違いについては賛否両論あるので一概にジャッジ出来ないそうなのですが、悪文についてはどっちのことを言っているのか分かり難い表現が多いようで、悪文として見抜けやすいそうで。
その例えの一節がとても分かり易かったんです。しかし、その一節がどうにも思い出せず、読み返したいなぁと。(せめて本のタイトルだけでも教えてほしいのですが)
うろ覚えなのでかなり強引なフレーズになりますが「綺麗な車に乗った女性」といった表現があった場合、戸惑いが生まれると思うんです。(あの本の実例はもっと分かり易いフレーズでした)
「車が綺麗」という表現は違和感あるし、綺麗という修飾語の対象が車なのは明白なのですが。これが「車に乗った綺麗な女性」ならば疑う余地も無く。
若しくは「洗車したばかりの綺麗な車に乗った女性」ならば流れは掴みやすく。作者が綺麗と伝えたかったのが女性だったとしたら、悪文でしかありません。
「自分は文学を綴る立場に無く、分かり易い技術書を綴る立場でしたので、名文を綴る必要はありませんでしたし、そんなセンスも無いと思っていたので、ともかく誤解の生じないような文章を目指していました」
例えば上記の文章にしても「、」が入り過ぎていると思ったりですが、特にWeb上の文章の場合は区切った方が結果的に読みやすかったりもあると思います。
印刷された紙の文章でしたら、細切れ気味だとは思います。だんだんと例文なのか伝えたいことなのか分かり難くなってきました。
他にも、お年寄り向けの配慮もあった記憶です。例えばプリンターの取扱説明書で「プリンター」と「プリンタ」がごちゃ混ぜになっていたら、別物と判断してしまう方が居るそうです。
若者よりもお年寄りの方が別物と判断してしまう傾向らしく。お年寄りほど子供の頃の作文でみっちり仕込まれたからか。「用語の統一」についてなのですが、自分もよくやらかしているかと。
語尾の統一とかも扱っていました。これは思いつくまま綴ってしまうと陥りやすい失敗で、綴った後に語尾だけ斜め読みして統一性の無さに気付いたりです。まぁ、そこまで意識する人がどれだけいるのやら。
しかし、そんなことばかり意識していたら書きたいことも書けなくなってしまいますし、心の片隅程度の注意で良いのかなぁと。少なくともこのBlogでは誰かからお金を頂いているワケではありませんし。
「お前の文章を読むのに費やした時間はお金と一緒だ」という方も中には居るんでしょうけれど。
かなり大袈裟な表現になってしまうのですが、人が他の生物より優れているなぁと思える点の一つは文章を書けたり読めたりする部分かと。
そうでなければ技術の進歩もあったものではありません。ニュートンが文章を残さなければ、アインシュタインまで辿り着けなかったかも知れず。
インターネットに比較的早い段階から自分は触れていたので、先人の残してくれた技術系の文章に無料で救われた場面が多く。なので、自分もハマったことについてはなるべく残すようにしていました。
実家に帰省した際「これは便利だよ」とインターネットに接続出来る環境を作ったりもしました。養父もエロには興味あったでしょうし。
しかし、養父から言われたのは「そんな貴重な情報を無料で公開する奴の気が知れん」とのことでした。まぁ、そのうち分かってくれるだろうと。
自衛隊の高校出身な養父は、伝統的にイジメやシゴキを代々受け継いできた面が濃かったのかも知れません。何処かの時点で「そんなの無駄だから」と、もっと進歩的な流れに加速出来れば素敵なのですけれど。
自画自賛ではありませんが、過去には残しておいてお礼のコメントを頂けた記事も幾つかありました。(滅多に無いことですけれど)
フォトショップで自動処理に数日ハマった例。これはメーカーの説明も足りず。→ Photoshop Elements 7のバッチ処理
格安のコンピューターをhi-fiなジュークボックスの様に使う例。当時は前例がほとんどなく。→ Raspberry Piの設定等
海外製の格安なLEDヘッドライトをスクーターに組み込んだ例。ここまで詳しく綴ったのは無かったと思えます。→ ヘッドライトのLED化
他にも、突然消えてしまったラーメン屋や呑み屋の記事と画像とかありました。個人的にはどれも名店でした。
まぁ、自己満足の一環ではあると思います。
ガァ
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