閃き

閃き(ひらめき)についてです。今回はかなりつまらない文章です。
社会人になって最初の仕事で自分は七年ほど会社の寮で暮らしていました。

140人も収容出来る新築の寮には同期や同僚が何人も暮らしていて、夜になると誰かしらビールを片手に部屋に遊びに。(逆のパターンもあり)
3つ隣の部屋に居たM君とは特に夜の付き合いが多かったです。九州出身のM君はまさしく九州男児な豪快な男でしたが、勉強家な一面も持っていました。
運動系が全く興味なく飲み食いばかりのM君の趣味というと読書とパソコン。パソコンについては何故か良く分かりませんが当時のAppleの新製品をよく購入していて。
他にも読書の趣味では「この本を読んでみろよ」と司馬遼太郎の「街道をゆく」を紹介されたり「竜馬がゆく」を紹介されたり。
竜馬がゆくについては八冊あり、二巻目辺りでハマってしまった自分は全巻揃えることに。他にも、エロ本とか色々借りました。

結果的に政治経済にも強かったM君でしたが、お金の管理が不得意というかギャンブラー的な投資をしていたようで、常に借金を抱えていて。
自分も貸したお金がなかなか返ってこなかったことがあったり。最終的にM君は自己破産で会社を追われ、夜逃げしています。
セキュリティー系の会社だったので、サラ金の借り入れは懲罰対象だったのですけれど、実際はバレても多めにみてもらえることが多かったです。
しかし、サラ金も雪だるまになると会社の電話の回線がパンクします。取り立ての電話が頻繁に鳴り、その部署の業務が停止に近い状況に追い込まれたりで。
M君の職場もその状況に陥ったようで、追放された流れでした。

M君の失踪時は色々と伝手を頼りに探す日々でした。以前の同僚であったり、同じ大学の出身者であったり。
同じ大学の出身者が同期に居たのですけれど、自分はぜんぜん面識が無くて。初めて会話したのがM君の行方の件で。
その同期も行方を知らなかったのですが、M君は大学時代にも投資で破産していたそうです。自分達の世代の卒業間近は丁度バブルが弾けた頃でもありました。
何と、今回は二度目の破産。卒業間近のM君は一時期行方不明になり、借金は個人事業主だった親御さんが肩代わりしたとか。
そんな話は全然知りませんでした。

自分は親しい相手ほど都合の悪かった過去を語りがちでした。M君はどうにも色々と隠し事が多かったのかなぁと。
ぜんぜん知らない相手だったら、単なるどうしようもない奴なのでしょうけれど、色々と教えてもらったり楽しかった思い出も自分には多く。
ともかく、数週間かけて居所を探していました。
ご実家の宮崎県に電話した際は、M君のお袋さんの愚痴を二時間以上ひたすら聴かされたりも。

M君はソコソコ資産のある家で育ったらしく、中学時代から私立の学校に通っていたそうです。成績は優秀だったそうで。
九州大学を目指していたそうですが、結果は二浪で都内の中堅の私立に入学していて。お袋さんはM君の将来のために溜めていたお金を一度目の破産で使い切ったそうで。
お袋さんは二度目の事態で、もう勘当の準備があると。何処かで野垂れ死ねば良いんだと。
そうは言っても実の息子で手塩に掛けた長男で、心裏腹な部分もきっとあるに違いないだろうと。

なかなか見つからないM君のことを思い出す日々でした。
M君の話題で面白かったのは「どんな奴でも一度くらいは閃くタイミングがあるんだ。それで勉強のツボが分かったりするんだ。それが無い奴は馬鹿」でした。
確かにその通りでした。自分も高校受験や大学受験の勉強でチマチマ時間を掛けても効率悪かった期間があって。ある時突然何かに閃いてバラバラだった点が線で繋がって。
まぁ自分の場合は受験までの数ヵ月程度の苦戦でしかありませんでした。しかし、世の中にはガリベンなのに全く出来ない奴というのが実際に居ました。
丁寧にノートを取ったり、辞書にマーカーを塗ったり。余程出来る奴かと思ったら成績が全然悪く「嘘だろ?」と驚かされたり。
自分と言えば、教科書に落書きとか重要箇所のチェックを入れる程度。ガリベン君は特に興味や趣味が無く、ひたすら勉強するのみ。
友達も居なく、何が楽しくて生きているのかなぁと思える輩で。修学旅行では好きなグループを組む必要があったのですが、誰にも受け入れられず気の毒だから自分のグループに入れてあげたり。
大体は親が資産家で、塾に通ったり家庭教師まで着けていて。それでもあの効率の悪さ。
何らかの必死さが足りなかったのかなぁとか思っていたのですが、M君の言う閃きがあったかどうかの違いなのかなと。
学生時代の自分はお金が無かったものの、趣味と自由はあったので許される範囲で好き勝手やらせてもらっていました。あの歳だったから許されたことも多くて。あの歳だったから楽しかったことも。
空回りの勉強だけのガリベン君がいま何処でどうしているのか分かりませんが、どんな思い出が残っているのであろうか。

自分はつまらない人と付き合うのも苦手で、そんな繋がりと無駄な時間を過ごすのは勿体なくて。結果的に同期の一部からは「付き合いの悪い奴」というレッテルを貼られていました。
まぁ、その方が自分には都合よかったです。一々説明する手間も省けて。だいたいは無駄なお酒の誘いばかりでしたし。お酒は嫌いではないけれど、一緒に居る連中が重要で。
あと、身内でアル中になるのが多かったので、自分は控えるように意識もしていました。これは未だにそうです。(なので、その後も付き合いの悪い奴なレッテルに変わりなし)
そんな自分がM君のことを探し回っているのは同期も意外だったようです。人嫌い程度に思われていたのかも知れず。
普段付き合いの良かったM君は、結局自分以外の誰からも見放された状況でした。どうにも薄っぺらい付き合いだったのかな。

ある日、M君の滞在先の連絡がありました。職場の先輩の家に転がり込んでいるそうで。慌てて系列会社の職場に電話してみました。
確かに自宅に転がり込んでいるそうでした。一週間以上滞在しているそうですが、食事と酒と小遣いを求められてばかりで困っていると。
人の好い先輩だったそうですが、やはり一週間も居候されては扱いに困る様です。まして金に困った奴を平日日中に家に置いておくなんて、何されてしまうか分かりません。
「週末にMを実家に送り届けるので、うちの寮までの切符を渡してほしい」。

M君の実家にも電話しました。ともかく引き取ってほしい旨伝えました。東京に奴が居ても周りに迷惑が掛かるだけだからと。
世話になった先輩へのお礼のお金と、片道切符だけ送ってほしいと。羽田のゲートまでは自分が送り届けるから、宮崎のゲートで待っていてほしいと。
そうしないと奴はまた逃げ出すからと。この電話でもお袋さんから二時間以上愚痴を聴いたのですが、最後は折れてくれました。
奴に現金を渡すとパチンコの玉に消えるか本人が何処かに消えるかで。

M君は約束の時間に自分の寮の玄関に来てくれました。奴が時間を守るのは初めてだったかも知れず。だいたい、いつも自分は奴を朝起こす係みたいなものでしたし。
言いたいことは山ほどありました。
 SUKIYAKI:よく来てくれた。
 M:すまん。
 SUKIYAKI:羽田に行くぞ。

羽田までの首都高は会話が少なかったかも知れず。
行方不明中、奴は日光の華厳の滝まで行っていたそう。しかし、飛び込む勇気も無く、ぽっくり逝けたらなぁと考えていたそうで。
奴が夜逃げした噂は知れ渡っていたし、よくもまぁ一週間以上そんなお前を泊めてくれた人が居たもんだと笑ったり。だいたい、M君の足の臭さは自分が一番良く知っていて。
奴が言うには仕事も探していたそうなのですが、一旦リセットしないことには上手く行くと思えず。
宮崎に帰る手配は俺が勝手にしたことだし、それで上手く行かなくても俺以外恨むなよと。

羽田の出発ゲートで、固い握手をして最後のお別れ。
お袋さんにちゃんと謝れよ。
奴には珍しく「ありがとう」と。

まだ抱えているだろう多額の借金については、その後またお袋さんが片付けてくれたらしく。宮崎の到着ゲートで待っていたお袋さんからは再会早々その場で思い切り引っ叩かれたとか。
その後、大晦日にM君から電話があったりしました。お袋さんに尻叩かれて電話したと。
何だかやはり憎めない奴なんだよなぁ。

コメント

  1. ルノワール佐藤とロマンハリケーンズ より:

    >今回はかなりつまらない文章です。

    いや、つまらなくなんかない、面白かったよ。
    思えば俺は「閃いた」ことなんて、ほとんど無かったか、あっても忘れちまってるようだな。

    ところで所謂「豪快な」奴って、近くにいる時は楽しくて良いのだが、本人がワクの中に収まり切れないぶん、俺の前から去って行くのもまた早かった気がするなあ。

    結果、自分も含めてお行儀の良い奴ばかりが残るっていうか。

  2. SUKIYAKI より:

    ルノワールさん
    ありがとうございます。中学の同級生でもあったH君のことを綴ろうと最初は思っていたのですが、綴っているうちにM君の思い出の方が重かったことに気付いたり。H君のことはまた別の機会で綴ろうかなぁと。
    少なくともルノワールさんは閃きがあったと思いますよ。でなければ、あの大学にも進めなかったでしょうし。あと、ハッキリとした趣味や興味もお持ちでしたから。
    M君については幕末辺りに生きていたら、相当な牽引力を誇れたかなぁとか思っています。生まれてくる時代を間違えたようで。