夜叉ヶ池(ヤシャガイケ)という映画を観たのは三十年ほど前、自分が大学に入ったくらいの時期でした。
テレビ放映でたまたま途中から観掛けて。これがナカナカインパクトのある作品でした。そのうち最初から観てみたいなぁと。
しかし、残念なことにテレビ放映はその一度キリでした。歌舞伎役者の坂東玉三郎が女役とはいっても男優さんと接吻する場面があり、現在大物になり過ぎてしまった玉三郎さんのお許しが得られないといった噂もあるようです。(真偽不明な噂ですけれど)
その途中から観た感想としては、特撮の古臭さとか薄気味悪さとか気持ち悪さみたいなアングラ劇に近いものを感じまして。ただ、冨田勲さんの音楽は特にラストシーンの浮遊感を際立たせていました。
翌日の大学で「昨日のヤシャガイケ観たかよ?ありゃ凄かったなぁ」と友人に尋ねられ。変な映画は観たもののあれが「ヤシャガイケ」という作品名なのは知らず、どんなラストシーンだったか尋ね返したらどうやら同じ作品で。
そして、上記のような感想を伝えていました。友人はバンドでドラムを叩いていましたが、クラシックにも強く、芸術的な感性は持っていました。
当時の自分は包容力が色々な面で足りなかったのか、特に特撮にぎこちなさが残る作品が苦手で、ストーリーとか作品が伝えたかったこととか本質的な部分は二の次になりがちでした。
いずれにしても途中から観てしまったので、語れるレベルではなかったです。ただ、ラストシーンの壮大さと孤独感は呑み込まれる感覚が確かにありました。
そのうちまた観れるだろうとテキトーに意識していたものの、十年経っても二十年経っても観れず、Webで検索したところ、上記の理由でソフトの再販は限りなく難しいし、テレビ放映は更に難しいとの噂で。
そうなると益々観てみたくなるのですが、半分諦めていて五年以上は「夜叉ヶ池」をキーワードに検索するは無かったです。
昨夜、何の気なしに「夜叉ヶ池」を検索したところ、数年前からYoutubeにアップロードされていて。半分眠りかけていたものの、一気に最後までスマホで観ることに。
これが、なかなか良かったんです。良いとか悪いとかいう判断は良くないと以前に忠告されたこともありましたが、決して悪くは無くて。
スケールが大き過ぎて、舞台に収まりきれない作品な面もあったとは思います。前途の通り、特撮も当時の技術レベルで。ただ、これを演劇として観た場合は強力な破壊力がありました。
かなり大雑把なストーリーはWikiにも載っています。映画上では姫が我が儘を押し通そうとする場面前後が如何にも演劇っぽい演出なのですが、人の動物的本能が穢れの無い美しさで理性を取り戻させる展開は誰にでも当て嵌まりそうで。
山崎努さんも自分は昔から気になっていた俳優です。「スローなブギにしてくれ」や「早春スケッチブック」といった作品が好きでした。「どの作品でも同じ印象」も上手く働いているというか。ちとインテリでありつつも野性味を残していて、人生の修羅場も経験していて。
坂東玉三郎については名前しか存じないような方でした。ここで演じる女性は女性以上に女性でした。自己主張の無さの中に自己主張が隠れていたり、男からすると誰かが傍に居なければ誰かが守ってあげなければいけない可憐な女性というか。
自立して生きていく為の教養とか経験とかが現代の女性には必要なのでしょうけれど、これを観てしまうと男が守らなければな旧来の社会も否定出来なくなる感で。
そしてクライマックス。
民衆の邪念が大量の水で押し流され、冨田サウンドが持ち上げて。
これをハッピーエンドと言って良いものなのか分かりませんが、愚かな民衆心理の結末。
暫く前に綴った記事で「浦島太郎」のクライマックスが理不尽過ぎると思ったものの、掟を破った結末はこの作に近く。
順番が全く逆になるのですが、映画の序盤も面白かったです。
日照り続きで水の乏しい村を彷徨う主人公が強風で舞った土埃で目を傷めてしまう場面です。目を洗いたいものの水は何処にもなく、人が集まる場所で状況や症状を伝えたところ「これで洗いなさい」とばかりに乳房から母乳を出そうとする女性。
大正時代が背景なのですが、都会で現代的な経験を持つ主人公は村の女性の対応に驚きます。勿論親切心や母性本能があったのでしょうけれど、そこに何の恥じらいも無く、明治はおろか江戸時代の風土に迷い込んだ感覚で。
現代の若者がこの作品を観たら、どんな感想になるのだろう?と。
おとぎ話や演劇だと事前に耳打ちしたら、細かな突っ込み無く素直に観れるかなぁと思ったりです。
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