月とキャベツと

流行歌に疎い自分でも、山崎まさよしさんの”One more time, One more chance”は当時からお気に入りでCDも持っていたりします。
主題歌が使われた映画”月とキャベツ”も良作とのことで、ずっと気になっていて。
あれから二十年も経った昨夜、Web経由で観てみたのですが、これは切ない。

【ストーリーは】
売れっ子バンドを解散しソロになった主人公は創作意欲も湧かない中、田舎へ引っ込んでキャベツ作りに暮れる日々。
そこへ謎の白い女の子が転がり込んできた夏。
主人公は追い払おうとするのですが、新曲を望む女の子は離れようとせず居候に成功。

喜怒哀楽が抜けた日々、少しずつ色彩が戻ってきた主人公。荷物置き場と化したピアノの蓋も久し振りに開けることに。
ダンサー志望の女の子は主人公の新曲で踊るのが夢で、少しずつカタチになってゆく曲をバックに踊ってみせたり。
新曲がカタチになり始めた頃、女の子の正体が主人公の親友(カメラマン)に知られてしまいます。

北海道の田舎で暮らす高校生の女の子は東京で予定される創作ダンスのコンクールに向けて大きな台風の中旅立ちました。
しかし、川沿いのバス停で土砂崩れに巻き込まれ、女の子は帰らぬ人へ。発見された亡骸のウォークマンからは主人公の嘗ての曲が流れ続け。
前年のコンクールを偶然撮影していたカメラマン、舞台裏の一枚の写真がキッカケで既にこの夏に女の子が他界していることを知り。

やる気を取り戻した主人公を支えてくれた女の子に、カメラマンは「ずっと奴の傍にいてほしい」と伝えるのですが、女の子は「もうすぐ夏休みが終わってしまうから」と。
新曲の完成まであと一歩の頃、女の子は主人公にかけがえのない存在になっていました。しかし、お礼の言葉を残しフワッと消えてしまい。
もう会えないのか。曲も詞も完成したある日、主人公は空に向かってハーモニカの音色で女の子を呼び戻そうと。
その晩、完成した曲を演奏していると、女の子はフワッと現れピアノの前で踊りが始まり。

要約が下手な自分ですが、結末も含めてこんなストーリーでした。
映画としての作りの甘さは隠せない部分が幾つかあったものの、伝えたい部分はしっかり伝わった佳作でした。

【自分の場合】
作品に登場したあの細くて白い女の子、自分の思い出の中にも近い存在が居ました。
容姿が似ているというより、雰囲気がです。妖精でした。

高校三年の春のこと、街から離れたいつものバスには同じ高校の制服を着た新顔もちらほら。
詰襟の男子もセーラー服の女子も皆小綺麗で、まだ幼さが残っていて。擦れた雰囲気の新顔は今年も一人もおらず一安心。
同じバスに何年も乗る自分は、新学期だというのにいつ洗濯したか分からない小汚い詰襟に寝不足なボサボサ頭に無精ひげ。最初からこうでは無かった。
丸暗記が苦手な三年生、解き慣れが必須な数学の教科書をいつも忍ばすおかしな奴。

そんな日々、時々目が合う女の子が居ました。見るからに童顔の真っ白な新入生。
場慣れしてだらしなくなった上級生がさぞや珍しい動物園の珍獣なのか、目が合えば逸らされるばかり。
部活に属していなかった自分が下級生と接触するのは通学のバスか、昼休みの階段くらいしかありませんでした。
そんな中、この白い子はすれ違う機会が何故か多く。

その年の文化祭で自分は少し目立たせてもらいました。
自分は学級委員のような立場を三年間続けていて、クラスのまとめ役な場面が多く。
成績が良かったワケでも無く、煙草もお酒も単車もたしなむ全く相応しくない立場でしたが、その役を決める場面は誰かによる勝手な推薦と一同の拍手で事収まる流れ。嫌がる本人に拒否権など無く。
学級委員といっても、一週間の時間割を大きな紙に描いて教室に貼るといった裏方作業ばかりで、イベントの予定では面倒な纏め役であったり。
役職特権みたいなのは当時から嫌いだったので、イベントの役割分担ではいつも余り物を拾っていました。

体育祭は運動音痴な自分に活躍の場が無かったですが、文化祭は毎年楽しみでした。
前年の二つの出し物も上手く行き。街中をパレードする仮装行列とステージ発表はどちらも満足の出来でしたが、受験を控えた今回は余り手を掛けないで行く流れでした。
手を掛け過ぎると衣装代で足が出てしまった例もあって、ともかくあり合わせのモノと知恵を有効利用しようと。
実際、予算は余ってしまったのですが、理系のクラスで僅かな人数の女の子達の衣装作りは毎度大変だったと思います。
仮装行列はインディアンを題材にし、みすぼらしさと勢いとノリで大当たりか大外れのどちらかしか狙えない内容。
よし行くぞよ。なんじ馬鹿になれ。

第三位からの結果発表で二位までに入れず、これは駄目だったかと半分沈んだところで一位は我がクラス。これはかなり嬉しかったです。皆またしてもインディアンの雄叫びで大騒ぎ。
この本番、先頭で段ボール製のトーテムポールの中に潜んだ自分は見守る観衆の中に子供を見付けると襲い掛かって喜んでいました。後方の皆も負けじと馬鹿騒ぎに大笑い。
いつもお世話になっていた本屋の女将さんに、イーヅカはこの中です!お借りしたリヤカーは後ろの馬車です!

そして、文化祭のもう一つのイベントがステージ発表。
音楽室から借りてきた沢山のギター、弾けそうな奴らを寄せ集めし、フロントに靴墨を塗った数人でシャネルズ(ラッツ・アンド・スター)バンドでした。
自分はラッパが吹けるということで、フロントラインに。目立てる役はこれが最初で最後でした。三年間のご褒美的な意味合いもあったかも知れません。
この一曲だけでは時間が余り過ぎてしまうので、最後は皆で肩を組みつつ「若者達」の合唱で。如何にも田舎の高校生らしく。

その時の笑顔の皆の写真が残っています。ぜんぜんカッコつけていなくて、生き生きとしていて。
自分は直前のラッパをしくじらなくて、ちょっとした安堵も入っていました。目立ちたがり屋な部分もあるのに、本番では力んでしまう不器用な奴で。
そして、明日からは大学に向けた受験勉強に励まなくてはいけないという哀愁も。
(あの時のステージ衣装は上出来なタキシードで、自分は欲しかったのですが本番後の楽屋で紛失してしまい。必死に探したところ製作してくれたクラスの子に奪われてしまったそうで。二千円で買うと取引を持ち掛けても認められず。大体、あんな汗臭いの恥ずかしく)

文化祭のステージで目立ってしまうと、後日は後輩からファンレターのようなモノを頂いてしまったりです。
これは自分に限らずですが、自分も頂いたりしてしまいました。時として集団でやってくることも。
普段の自分はステージの上のヒーローではなく、年中馬鹿な事ばかり企てている駄目な奴で。白馬の王子ではなく、ロバを引っ張るドン・キホーテ。
自分は卒業したらこの北海道から離れる予定でしたし、恋愛はその先と決めていました。
だいたい、アルバイトばかりしていた自分の成績は既に下の領域で、如何に効率良くあと数ヵ月で巻き返すかが重要課題。他の幾つも捨てなければ。
これを乗り越えなければ先が無く。それ以外の選択肢は考えられなく。

北海道の夏は八月末の文化祭と共にサッと去ってしまいます。夏は昨日までだよと。本州出身の自分としては、残酷過ぎる夏の終わりです。
親しかった友人達とは、いつも昼休みを図書室で過ごしていました。それまでは「こんな変な本があったゼ!」とか好奇心旺盛な仲間でしたが、受験勉強が始まると、そこで過去問を解くばかりのつまらない集団になりかけ。
時折やってくる女の子達には気付かぬフリをしていました。しかし、中には積極的な女性も居ました。合格祈願のお守りを頂いてしまったことも。
そのずっと後ろに、例の白い女の子も。
積極的なのは一学年下で、二学年下の白い子は心配そうに見つめている様子。
どうしてここに?

あの秋から数ヵ月、誰しも不安の中で孤独と戦っていました。
新年からは自宅学習期間で学校に通う必要もなく。時々様子見に伺っても、僅かな生徒だけの教室は夏が終わるまでのあの頃とは別の空気で、寒い自宅で布団に包まりながら問題集を解く方がまだ居心地良く。

希望の大学から合格通知を頂いた自分は、サッサとこの寒い土地から離れたい一心でした。本州の中心で、沢山の刺激が待っているに違いなく。大体、北海道での自分は出来ることなどとっくにやり尽くしていました。
そして、北海道の春先というのは寒さは和らぐものの、雪解けの始まった道路はドロドロで純白の雪とは程遠く美しくなく。
親しかった友人の何人かは浪人となり、特に文化祭で頑張ってくれた友人には申し訳なくて。自分が馬鹿色に染めてしまった夏が落としてしまったかもと懺悔の念。
みんな受かってほしかった。

高校の卒業式は初めてのパーマヘアーが大失敗で、そそくさと去った記憶程度です。皆、もうこの環境に飽き飽きしていたとも思えます。
最後にひと暴れしようか?と仲間内で話し合いもありましたが、最後くらい穏やかに過ごそうとなり、お通夜のような卒業式でした。
「沢山の素敵な思い出をありがとう」だけでした。一緒に馬鹿をやってくれた同期にも、校則違反を知りながらも見守っていてくれた大人達にも。

最後の文化祭は相当な盛り上がりで、特に三年生のレベルはどのクラスも大したものでした。それに感激した新入生は地元の新聞に投稿が採用されたりしたそうで。
当時ギリギリで学区内トップの成績だった母校は、現在ライバル校に相当な差を付けられてしまったそうで、これはちと残念です。何よりもあの仮装行列も後夜祭のウイットに富んだ挑戦状も既に失われたらしく。それでケジメはつくのか。
自分のクラスは浪人を含めると過半数以上が国公立大に進み、歴代でも一番優秀だったそうです。

それと、卒業式の夜は地元の居酒屋が同期の各クラス単位で何処も貸し切り状況でした。
おおらかな時代です。羽目を外す範囲も皆さんわきまえていたと思えて、特に事故も無く大人達は見守ってくれていた様子でした。
今の時代は何もかも無駄に厳し過ぎとも思う自分です。ハタチに突然大人になれるワケなんて無くて。

東京に出た自分は九月の終わり頃に初めての彼女と出逢っていました。
時はバブルど真ん中、お金も地位もコネも無い自分と付き合ってくれた女性に日々感謝しつつ。
昼間の仕事と夜の大学で平日が終わる日々でした。平日といっても当時は土曜も平日です。
彼女と会えるのは日曜日か祭日だけで、デートもお金の掛からない公園ばかり。
彼女は以前の彼氏にドライブに連れて行ってもらえたり、話題のスポットに連れて行ってもらえたりだったそう。
彼女のお姉さんは彼氏との週末でゴルフやビーチを楽しんでいたり。
自分はそんなの無理でしたし、ささやかなサプライズを用意するくらいで。

毎度申し訳ないなぁと思いつつの十月のデートは既に幾度目かの上野公園。この辺りは食事も安くて美味しくて。
美術館を巡った後、夕暮れ時の公園で見覚えのある制服達が。セーラー服の肩には鶴の刺繍。こんなの自分の母校しか観たことが無く。
「〇〇高校の生徒ですか?」と咄嗟に聴いてしまいました。
「はい」と。

修学旅行で東京に寄っているらしく、彼女の手を引っ張り集合場所の大きなレストランに走りました。二年前に自分も利用した場所です。
集合場所では懐かしい先生達も。自分は元気にやってますよと挨拶し。
隣の彼女は突拍子もない出来事に困惑していた様子でした。

集合場所を離れようとしたところ、二人組の女の子が駆け寄ってきました。
腕を引っ張られる女の子は、あの白い子。
「先輩。。」と頼りなさ気な声に涙ぐむ瞳。

何じゃそりゃ!こんな酷いドラマ許されるワケなく。

自分は気付くのが極端に遅い出来事が時々あるんです。
やっと理解しました。しかし、何故にこの最悪なシチュエーションで。
気付かぬフリして、彼女の手を引いてその場を去りました。
これは残酷過ぎる場面でした。さっきまで、今日はタイミング良い日だと思っていたのに。

その翌年の夏は、入手した250㏄の単車で北海道に帰省しました。
益々古ぼけた高校の校舎へ挨拶に。
三年間自分を担当した先生と再会し、痩せ過ぎた自分が心配だと返されてしまい。
でも、元気でなければ単車でこんな長距離走れませんし。実際、元気でしたし。いつも腹ペコだったけど。

数学の教員室でお別れし、階段を下りる途中で腕を引っ張られる女の子が。
「イーヅカ先輩!」

三年生になった白い子は、清純派アイドルのような綺麗な女性に変わっていました。
あんなに大きな声では、聴こえないフリも無理はありました。
しかし、無理なんだとも伝えられず、振り返りもせず。

昨年の彼女とはとっくに別れていて、独り身ではありました。
進学にしても就職にしても、自分の高校から東京に出てくるのは極僅かで。その極僅かなのも男子だけでした。
当時まだ若年者な自分でも、幸せは近くにあるに限るとも思っていて。
高校の同級生の中には東京で暮らす自分は派手な生活をしていると誤解もあったようです。しかし、実際は生活費と学費だけで精一杯だと気付き、大学時代に付き合った彼女は短い期間のその一人だけでした。

更にその翌年の夏、帰省した際に母から聞いたのですが、知らぬ名の女性から暫く前に電話があったそうです。
「〇〇さんっていう女性からケースケに電話があったのよ。この夏は帰省するのかって聴かれたの」と。
母はどうして直ぐに自分に連絡してくれなかったのか。そして、どうして自分の連絡先をあの子は聴かなかったのか。あと一歩だったかも知れないのに。
自分は毎度予告もせずに突然帰省して実家を驚かせていたので、母も答えようが無かったようです。これも確かに自分のせいですし、やはり誰も責められず。
あの白い子しか思い浮かばず、高校はもう卒業した年齢だったでしょうし、もう会うキッカケは残されず。
(その苗字についてはこうだったかな?と何となく覚えてはいるのですが、自信なく)

偶然な場面もありましたが、あんなに酷い素振りをしてしまった自分が未だ許せずです。
もう少し、気の利いた対応が出来なかったものなのかと。でも、思わせぶりを残しては一番美しかった時代に更に辛く長い時間を費やさせてしまったかも知れず、これで良かったとも。
互いにケジメの無かった中で時々、白い子のことを思い出しています。昨夜観た映画でも思い出してしまった次第で。
あんな引っ込み思案そうな子が、よく勇気を振り絞ってくれたなぁと。
「勇気」のほとんどは「言う気」だと何かで読んでいて。

北海道へ帰省する機会が社会人になってからの自分は減る一方でした。
ただ、帰省する機会があれば、何処かにあの子は隠れていないのかなぁと思い返したり。あの唄の歌詞に近く。
会えたところで自分も何を言えるのか分からないですが、お詫びの一言くらいは伝えたかった。
既に十年以上自分は北海道に戻る機会も無く。一度も。
封印未満の過去の土地。

漱石の三四郎でも終盤辺りに似たような場面がありました。
大昔の戦争の出陣式か何か、隊列を見守る群衆の中に白い女性が居て。会えたのはその一度きりなのに。
ずっと歳を重ねてしまった先生、風邪をこじらせた夢枕にその女性が現れたそうで。
こんな感覚は誰しもあるものなのか?(未だ独り身というのも理由なのか)

大学時代に友人から紹介された本で当時流行り始めていた心理学の素人向けなのがありました。
お酒の席での話題作りとかには重宝するネタが満載で。その中で「人のイメージ色」みたいなのがありました。
うろ覚えですが、黄色いイメージの人は「面白い人」、白いイメージの人は「尊い人」。
これは案外、当たっていたのかも知れません。

名も知らぬあの白い女の子、きっと今頃は何処かで目の前の幸せと一緒に暮らしていることだと思います。勝手な想像ですが、子供さんは当時の自分達くらいの年齢で。
あの子の白い夏はいま、どんな思い出なんだろう。

コメント

  1. ルノワール佐藤 より:

    こんなエピソード初めて知ったが、近くで同じ空気を吸っていた身としては、切なさに悶える内容だわ。

  2. SUKIYAKI より:

    ルノワールさん
    長いの読ませてしまって、スミマセン。過去にも綴りかけたのですが、誰かに迷惑掛けてしまうかなで途中で消していました。
    自衛隊正門行のバスで、ルノワールさんも白い子に会っていたかも知れません。
    一年次の教室が図書室の隣だったので、昼休みはその後も溜まり場になっていて。小森君には色々な本を教えてもらいましたよ。
    しかし、在学中に気付かなかったことって誰でも何か一つはありそうです。
    当時の自分の駄目具合はルノワールさんの奥さんもご存知の通りかと。

    映画については現在動画サイトのdailymotionで閲覧出来る状況でした。先月末に載ったばかりのようで、短期間で消されてしまうかも知れません。
    そのうちDVDは買おうと思っていますが、これは観るに値する作品かと。映画好きなルノワールさんには突っ込み処満載かも知れませんが、ストーリーは素敵でした。