引用元

柴又へ引越しするまでの自分は下町で十年ほど撮影係を担当していました。
地域のサイトを三つほど立ち上げた中で、サイト内で使用する画像が必要だった流れでした。
サイトのコンテンツは当然ゼロからのスタートでした。画像も文章も。
コツコツ続けていれば、そのうちそれらしくなるだろうというスタンスでした。
1996年頃から細々と個人のHomepageを続けてはいたので、何とかなりそうな2006年頃の出発でした。
3つのサイトを立ち上げたキッカケは地元の町を盛り上げようと町会内で上がった案からでした。何かのお酒の席の勢いだったと思います。
ともかく1年は続けなければと。10年続けば大したモノになるかも知れず。

当初は自宅に玄箱という簡易サーバーを立ち上げての運用でした。
途中はMac miniをサーバーにしたりで。しかし、自宅は真夏になると40℃を超える暑さで、サーバーは幾度も倒れ。
サーバーの復旧に一晩掛かったり、翌日の仕事(本業)がなかなかキツかったり。結果的にレンタルサーバーに鞍替えしたり。

1年目を過ぎた頃にはだいぶそれらしくなってきました。自分も地元のお祭りや行事に頻繁に駆り出されていて。
準備や片付けを含めると、朝から晩までの活動も多かったです。自分はお酒が強くないので途中で抜けるのも度々でしたが。
せっかくの週末、早朝からの参加は正直「めんどくせーなー」な場面もありました。しかし、終わった時の充実感が全てを帳消しにしてくれて。

そんな流れで相当な枚数の写真が数年の間で溜まってしまいまして。
色々とあってスタートから7年目辺りで自分の役割は終わったのですが、その後も2つのサイトはまだ続いています。

柴又に引越した現在も当時の町のことを時々思い出し、検索する機会があります。
だいたいは、そろそろあの行事の季節だよなぁで。
昨夜は御茶ノ水のニコライ堂で復活祭が開催されたようです。
深夜に教会の鐘が一斉に鳴り響き、これがけっこうな音量で。まぁ、一年に一度のイベントですし大昔から続いているのでそれが問題だとは個人的に思っていません。
それでも不満に思う方はいらっしゃるようで、毎年その晩のTwitterを確認すると苦情系も目に留まります。
大学や病院、予備校が多いエリア、近くにはその宿泊施設等もあったりで地方から上京されてくる方は当初驚くのかな。

検索した中に時々発見があります。
自分が過去に撮影した写真が、何の引用も承諾も無しで使われているパターンです。
それで儲けようとは思っていませんが、一声かけてくれるだけで気持ちは全然変わるのに。
中には承諾希望のメールが届くこともありましたが、こんなのはかなり稀でした。


例えば上の写真です。中にはオフィシャル系で勝手に使われているのもありました。
歴史書の出版物で採用された写真でもありまして、その際は出版社側から事前に連絡がありました。

ニコライ堂の復活祭

昨夜知ったのは、この写真。
ちとお酒が入っていたのも手伝い、苦言を残してしまいました。

上のどちらの写真も、広角を利用した撮影です。
神田祭の方はアマチュアカメラマンがひしめく中、どのポジションでどうやって撮れば雰囲気が伝わるかなぁと自分なりにその瞬間を狙っていました。
一番人気のあるポジションが必ずしもベストとは限らず、自分のように撮影場所を移動しがちなカメラマンは残った空いてるスペースに入り込むしか無く。
結果は偶然性も伴い、ともかく撮り直しの効かない一瞬です。
ニコライ堂の復活祭も、大きな背景に信者の方々をどうやって収めるか、深夜に考えつつの撮影でした。
実際、自分の所有する広角寄りのズームレンズを目一杯広角にしても収まり切らず、道路の一番隅に三脚を何とか立てて撮影した場面でした。シャッタースピードの遅さは人の動きによるブレと静止した背景に活かされたり。(フラッシュの不自然な光が苦手で、仕方なく三脚を使用でした)
参列者の多さを伝えるには、町を巡り終えた先頭の司教が教会に戻るタイミングだろうなぁと考えたり。このタイミングでも参列者の最後尾はまだ教会の中で。
このタイミングは事前に知っていないと狙えませんし、実際何年か通ったから撮れました。

頑張ったからとて必ずしも納得の撮影とはなりませんが、引用する人はその辺の苦労も少し考えてほしく。
簡単に撮れた場面では無いのですから。

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