数日前にニュース番組を観ていて、ちと驚いた場面がありました。
財務省関連のニュースで、嘗てそこで働いていたらしい女性の経験談でした。
その女性も東大卒で相当な成績で国家公務員になられたそうで。
「上司も優秀な方ばかりで、私の上司は電話帳のような厚さの資料をパラパラと目を通した後、ここだけ間違っていると某国の人口について指摘された。直ぐ調べてみたら一桁少なかった」とのこと。
普段耳にしないような国名でしたが、速読で分厚いのをチェックして、何の参考資料も無しにマイナーな国の人口の間違いを指摘するなんて、超人の領域というか。
旧大蔵省のキャリア組は公務員の中でもトップクラスの成績で入省するそうですが、そもそもオツムの作りが違うというか。
自分は地方の高校出身で、当時は地元でソコソコの進学校でした。学年で何人かは地元の北大にも進学していて。
北大に行くレベルの同級生はどの教科も満遍なく良い成績を収めていました。ただ、自分の得意科目は自分と大差なかった記憶です。
その北大に現役で受かった友人は高校時代まで秀才で通っていましたが、大学では平凡な成績だったようで、学部卒業前に公務員の一種は落ちたとのこと。
そのまま大学院でコツコツ勉強し、東大の院を卒業後は国の研究機関を経由して現在は某国立大で助教をしている様子です。
生真面目な友人とは学生時代に「あれについてはどう思う?」と意見を出し合う場面が幾度もありました。本や音楽についての話題が多かったですが、単なる記憶力の達者な人ではなく独自の意見も持っていて。
あの友人でも落ちた一種試験、その中でもトップクラスしか旧大蔵省には入れなかったらしく。
先のニュースを観た感想としては、やはりオツムの作りが違うとしか。
映画「レインマン」で主人公の兄は精神的な病の持ち主。しかし、電話帳の膨大な名前と電話番号を一瞬で覚えられる能力があり、その能力を見込んだ弟はカジノのカードゲームでぼろ儲けという場面がありました。
あれは病の一例ではありましたが、その領域なのかなぁと。
コンピューターに関わってきた仕事をしていると、装置の記憶容量は意識すべき部分であったりします。
人間の脳の記憶容量がどの程度なのか分かりませんが、人によって容量は十倍も違わないハズで。
単なる記憶以外にも計算速度とか含めて、普通の人は使われていない部分がけっこうあるのかな?と思ってしまったりです。
まぁ、記憶能力や計算能力が優れているから「頭がいい」とは直結しないこともありますが。
レインマンの兄のように、足りない部分もあったりで。人間性とかも。
昨夜たまたま観た教育系の番組で、自然の破壊をテーマにした初老の男性の講義がありました。受講者は中学生くらいの若者達。
海外の番組でしたが、自分も知らなかった話題もあり興味深かったです。
モアイのイースター島で何故に文化や住民が滅びてしまったかとか、自然破壊は人間以外でもあったとか。
講師が最後に語った言葉が印象的でした。
「可能性は51%だと思って、希望を持って生きていきましょう」
これは頭のいい人の言葉だよなぁと思いました。
「馬鹿な奴だなぁ」と思うのは大体が「無理だ」とか物事を決めつけてしまったり、無駄に「絶対」とかいう表現を使いがちで。
分かっている人ほど例外を意識していて。かつ、可能性を意識していて。
50%や49%と51%は大きな違いで、モチベーションにも違いが生まれると思います。
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