何を思い立ったか、数日前にWebのオークションで火鉢を落札しました。
ひまわり栽培に続き、もう一つの今年の珍事かもしれません。
今週末には自宅に届く予定です。
部屋全体を暖めるに、断熱の疎いこの部屋には無駄でもありますし。
オコタを置くには狭い部屋。だいたい、夏場に置き場も無く。
手足の冷え性気味な自分には、そのパーツを暖められるだけでも十分メリットで。
第一、元々謎の小道具で、焚火みたいなのは男だから元々好きで、ちまちま何かを触っているのも好きで。
一石二鳥以上のメリットが自分にはありそうで。
Facebookでその話題を綴ったところ、旧友からも背中押されました。それを待っていましたし、奴は自分を知っている。
ここ十数年続く寝正月も、コイツに遊んでもらおうと。
ターゲットのオークションは、即決価格で入手した場合、五徳と火箸と灰も付いてくるそうで。
このオマケで意外にも高くつくのが灰らしく。
Amazon等で検索しても、火鉢用の灰は数千円単位。
観賞用の高価な骨董品を求めるつもりはありませんし、その道の目利きも当然持ち合わせていません。
しかし、灰というのはあらゆるモノを燃やした末路で、自分のオツムでそれに価値など見いだせず。
ここしばらく、屋上の土の再生をしていますが、灰というのは基本的に強いアルカリ性で、酸性の土壌を中性に地近付ける機能を持ち合わす程度というか。
昨夜、一つ調べ当てました。
嘘か本当か存じませんが、炭を燃やした後の灰は、燃焼の前後で0.5%の重量にしかならないそうです。子供の頃に経験した焚火でも、確かにそんな感じでした。燃やしたのは集めた雑草でしたが。
5kgの灰を得るには、1tの炭が必要な計算です。
不純物が混ざっている炭も勿論あるでしょうが、灰を得るには相当なエネルギーと材料が必要なようで、高価な理由を妙に納得しました。
もう一つの灰の思い出。
義務教育の頃に読まされた国語の教科書で、幾つか心に刻まれている作品があります。
最悪の結末な短編ばかりです。義務教育ではありませんが、「フランダースの犬」のような。
その一つは、中国の著名な作者が田舎に帰省し、幼少期の親友と再開する作品でした。
作者と作品名が思い出せず、これも昨夜検索して簡単に見つかり、青空文庫で読みふけました。
魯迅の「故郷」でした。
地主らしき主人公が実家の引っ越しを予定する故郷へ数十年ぶりに帰省。人生はオンレールな主人公。
わびさびの美しさとは別次元の寂れた土地との再会。
がめつくケチな老婆との再会。主人公の幼少期は穢れなき看板娘だったハズなのに。この老婆が灰さえも持ち出し。
そして、幼少期に輝いていた親友はそれまでの苦労が身なりにも面(オモテ)にもあらわれ、第一声は「旦那様!」。
その後無駄に流れる居心地悪い時間。
日本生まれの道徳本は、覚えている範囲でハッピーエンド。
途中、挫折や苦労があっても、ハッピーエンド。
こうでなければ、やってゆけんので、これでいいのだ。
バカボンのパパは、日本の理にかなっているのだ。(知らない世代もあるでしょう)
脱線ですが、もう一つの最悪の結末。
ヘッセの「少年の日の思い出」です。
これは原文をまだ読み返していません。青空文庫にあるのかな。
盗みを働いた少年の手の中で粉々になった標本は、ある面、灰に近かったのかも知れず。
灰は奥深い感です。
早かれ遅かれ、誰しも灰だからか。
あしたのジョーも、そうであったではないか。
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