自分の家にはCDが数百枚あって、その過半数はJazz系ばかりです。
しかし、中には邦楽も転がっています。
どれも、マイナーなのばかりだと自分でも分かってはいます。
昨夜、何の気なしに「久し振りに太田裕美でも聴いてみるか」と、CDラックを軽く漁ったところ、謎。
だったら、買っちゃえでAmazonを覗いたところ、とんでもない高値になっていました。(2011/01/22現在28,400円)
なんだよ、またかよ!
自分の初恋らしき思い出は中学三年生のときで、その相手は隣のクラスの小柄な女の子でした。
転入したばかりの北海道の中学で、色々目立っていた自分に向こうから話し掛けてきたのがキッカケでした。
同級生の話では、その子は相当の秀才らしく、小学校時代にオール5の通知表を頂いたことがあるそうで。
「ラブレターのようなものを送ってくる女は、アホに違いない」と思っていた自分には意外でした。
当時、バラエティ番組で馬鹿にされていた埼玉から引っ越してきた自分。まさかこんな田舎の北海道でそれを馬鹿にされるとは思ってもいなくて。
そんな中でも、ちょっとは浮いた話があったんです。「埼玉さん」と呼ばれつつも。
ピアノも上手だったその子は、合唱大会でも見事な伴奏を披露していました。ピアノも自分より遥かに上手い。
自分が目指していた高校は、地元学区で当時一番優秀だったので、あの子もきっとそこへ進むだろうと思って、自分も受験勉強に励めたりして。
しかし、受験間際の学年集会で、その子は学区外の更に優秀な高校を目指していると知りました。
そんなに大きなレベル差も無い高校なのに、何故に通学の面倒な学区外へ?
お互い、希望の高校に入学できた後、自分は無駄に早朝のバスに乗る機会が幾度か。
そのバスで、あるとき聞かされました。
「私、夏休み前に埼玉に引っ越しちゃうの」
親の転勤が以前から決まっていたそうです。(北海道の千歳は航空自衛隊があり、埼玉にもその基地がありまして)
何でまた埼玉なんだよ..。
太田裕美に似ていたんですよ。ほんの少し。その子。
それから、太田裕美の曲を聴くようになりました。
自分より一回り上の世代のアイドルだった歌い手さんでした。
当時(1984年頃)の太田裕美さんはアイドルとしての全盛期を過ぎていたようで、ブラウン管に登場する機会はほとんどありませんでした。
幸いにも地元FM局で番組を一つ持っていて、土曜日の放送をカセットテープに落として楽しんでいました。(ハウディ・ミュージックとかいう番組)
しかし、時々流れるご本人の曲に、毎度驚かされました。
「木綿のハンカチーフ」とは全く異なる曲調ばかりで。
テクノポップ路線の太田裕美に馴染むのは案外楽で、それはそれで気に入っていました。
というより、その路線の方が好きになってしまいました。
高校生時代の休日はアルバイトに励んでばかりで、そのお金でCDを買い漁っていました。
当時からJazzばかり聴いていて。
まだアナログ盤が当たり前の時代でもあり、どうせ買うならCDでというルールを決めていました。
しかし、太田裕美さんの当時のアルバムはアナログ盤しか存在しませんでした。
そんな思い出もほとんど薄れた二十年後くらいに、復刻版のCDがようやく発売され。
やっと手に入れたCDを聴くと、とても良く出来た作品に思えました。
当時(80年代)の音楽系の雑誌では80年代を代表するPOPとも賞賛されていた理由が分かりました。商業的には成功しなかったものの。
今日はそのCDを本棚の奥から発掘し、iPhoneに落として楽しんでいます。
このアルバム「I do,You do 太田裕美」を検索したところ、色々な方の思い入れがあるようです。
ガァ
追記:
都会の絵の具にどっぷり染まろう。
コメント
いい話ですね・・・あれ?ブラウン管が曇って見えn・・・
私も太田裕美さんの歌声が好きでした。
是非ともそのアルバムを聴いてみたいですね。^0^
若旦那さんへ
ブラウン管の時代なんですよね。ポケベルもPHSも携帯も無かった時代。
ただ、このアルバムはぶっ飛んでますよ。戸川純さんにも通じるテクノ路線。
関係していたミュージシャンの方々も、その後オオモノになられたらしいです。
ヘッドフォンでちゃんと聴いてみたら、それまで聴こえなかった音が溢れてきました。
今宵はこれから居酒屋さんの送別会なんですよ。
地元からまた一人、素敵な方が..。
ガァ