散文

昨日一昨日と綴った記事は非公開にしました。
内容に問題があるのは自分でも解っていましたが、文字に起こして頭の整理もつきました。

昨日のこと、録画していた「フランダースの犬」の再放送を二話続けて観たところ、過去の記憶から抜けていた場面が幾つか。
絵のコンクールで落選した主人公のネロはその場で「全て終わった」と台詞を残した記憶だったのですが、その言葉は無く。
落胆ぶりは相当だったのですが、言葉には残していなかったのだか、それとも最終回までの何処かで残したのだか。
ネロの面倒をみようとした木こりのミッシェルさんは、悲劇が近いこの回までネロを引き取ろうとしていたんだなぁと。
絵に全てを掛けたネロの意思は固かったと思うのですが、もう少し現実を観ても良かったのではと思えたりです。
そして、食費も困っていたネロがルーベンスの展覧会を観る為に、ミッシェルさんから頂いた当面の生活費を使ってしまったことも違和感があったりで。
真っ直ぐな姿勢のネロの良さはあるのですが、夢と現実のバランスが少し欠けていたのかなぁとも。アニメでは十歳の設定のネロには難しかったのかも知れませんが。

四半世紀前に再放送を観た際は、終盤の展開を涙無くして観れず、途中からビデオの録画モードに入れて居間から寝室に逃げ込んだりでした。当時28歳だった大人だったのに。
実家に帰省していたタイミングだったので、そんな姿は母に観られたくなく。バレバレだった様ですが。

あと、番組の終わりには次回の予告が短時間流れ「お楽しみね」とナレーションが入るのですが、あの悲劇に進む展開でその台詞は無理があるよなぁと。
結末を知っている大人の視点ではあるのですが、何も知らない子供だったとしても「この後どうなっちゃうんだよ?」な心配しか無さそうでして。
このお決まりのナレーションを検索してみたところ、最終回の予告は「見てくださいね」だったらしいです。
流石に「お楽しみにね」のままでは、無理があったんだろうなぁと。

そして、オープニングの曲についてです。
番組の編成並みに良く出来た曲に思えます。様々な楽器の演奏が効果的で、犬の鳴き声まで(恐らく)ホルンで表現していて。
あぁいった曲を書ける人は、やはり凄いなぁと思えます。
しかし、そこでまたアホな閃きが。ウルトラセブンのオープニングの曲でも、ホルンらしき音が効果的に使われていたなぁと。あれは象の叫びに近かったのですが。
ともかく、曲のアレンジを上手く纏める能力を感じてしまった次第です。四人編成のロックバンドでは表現し切れないエッセンスというか。

更に話が逸れるのですが、あのミッシェルさんが作る鍋料理がどうにも美味しそうで。
宮崎駿さんが関わった作品に登場する調理や食事の場面は、何故か美味しそうに映ってしまい。
だいたいは、みすぼらしい場面で大した食材でも無さそうなのですが、食欲をソソってしまい。空腹は何でも美味しくさせてしまう現象にも近く。
そんな訳で、今宵は鳥の胸肉でシチューを作っております。

そして、名作といわれる「フランダースの犬」を何故に宮崎駿さんが酷評したのだか検索してみたところ、なるほどなぁと。
いまの自分の視点からすると、狭い世界で忖度を強いられる大人達と、それを知りながらも友情を捨て切れなかった子供達の対比でもあり。
しかし、美味しそうな食卓をこの作品で描けただけでも良かったではないですか。

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