鍵盤楽器

ここ数日、目が霞んだり喉がイガイガしたり。
どうやら花粉症っぽく。
それを意識したことはあまり無かったのですが。
症状はまぁ軽い部類だと思われるので、しばし様子見中です。

表題の鍵盤楽器についてです。
幼少期にクラシックピアノを習っていたので、以前はそれなりに弾けました。
しかし、練習を全くしなかったり弾く機会も減り、指が覚えていた曲も減る一方。

十代の中頃に気付いたのですが、自分は新しい曲を覚える能力がとても劣っていて。
今思うと当時はまだマシだったものの、こんなのではプロで絶対にやって行けないだろうと。
兄達はよくもあぁスルスルと新譜を呑み込めるものだなぁと。

ただ、逃げの手を覚えました。
コード譜さえあれば、それっぽい伴奏が出来る様になり、楽器を弾けない人からしたらそれっぽく聴こえる術です。
好きだった曲のコードがこうだったと知れた時の感動も大きく。「同じ響きが表現できた!」と。
一時期はテンションを効かせたコードが好きだったものの、自分の中の名曲は案外シンプルなコードだったりでした。

フォークギターを趣味にする人にとっては、コード譜を元にした弾き語りは当たり前の作業だったと思います。
ただ、ピアノ弾きには珍しいのかも知れずです。
実際、社会人になってから参加した社内バンドでは音大のピアノ科を卒業した若い女子社員がピアノを担当したものの、コードを全く知らずでした。
演奏そのものは相当上手かったのですが、クラシック畑でしか学んでこなかったらしく、下手な演奏ながらもコード譜だけで伴奏してしまう自分がマジカルだったらしく。
勿論クラシック音楽にもキーは存在したのですが、フレーズの断片を捉えたコードまでは譜面に記載されておらずで。

あのバンドでは課題曲が幾つかあったものの、自分はベースが担当だったので何とかなったりでした。
基本的にベースノートの一音だけを弾いていれば何とかなってしまいまして。複数の音を鳴らすピアノに比べれば単純でして。
勿論、それだけではつまらないベースでもあるのですが、存在するか否かでは大違いで。
実際、ヘビメタバンドしか経験してこなかった若手の前任のベーシストは、バンドメンバーの主体であったオッサン達が好みのJazz系に全く対応出来なかったそうで。
しばらくの間、ベーシストは不在だった中でトラとして雇われた自分でして。

あのバンドで初めてスタジオ練習に参加した際は「やっぱりベースが居るといいなぁ」と言われてしまい。
当初は何のことを言っているのか判らずでした。前任者が練習に参加していた頃は見当違いな音が多かったそうで、逆に居ない方がマシでもあったそうです。
確かに、ルートの音さえも理解していなければ全てぶち壊す立場でもあり。
何かの記事で知ったのですが、8ビートのロックでも一番重要なパートはベースでした。陰に隠れていそうで、そうでも無い存在で。

自分はトランペットも少し吹けました。
Jazzにも興味が合ったので、トランペット向けのキーに合った1001も学生時代に入手していて。1001はJazzのバイブル的な存在で、名曲やスタンダードナンバーが沢山掲載された譜面でして。
B♭キーの譜面にはコードも当てがわれていて。スタジオ練習の休憩時間には課題曲と関係無いJazzのセッションになる場面が多く。
音大卒の女の子はコード主体のピアノ伴奏に耐えられなく、自分があの1001で対応していました。
ただ、B♭の譜面をCに書き直す数分が演奏前に必要ではありました。
バンマスを含めて、メンバーの過半数はJazz研上がりのオッサン達。この休憩時間の方が面白かったりで。だいたい、ドラムのオッサンは4ビートしか叩けないスイング派で。
自分としても、4ビートを一緒に楽しめる機会などそれまでに無く。貴重な経験でした。

あのバンドの課題曲の中には譜面が出回っていない曲もあったりで、実際は譜面も出回っていたのですが、幾つもの曲が収まった高価な譜面をその曲の為だけに購入するのは勿体無く。
当時はインターネットも普及し始めたタイミングでもありました。
MIDIで打ち込まれた曲が幾つも公開されていて、使えそうなアレンジを元に譜面に起せたりで。
あれは革命的にも思えました。音源とMIDI系のソフトさえ所有していれば音も譜面も無料で手に入り。
それを元にデモテープも作れてしまい。

当時はパソコンに慣れていない社員の方が多かったので、そういった手法はミラクルでもあったそうです。
Jazz研上がりの連中も譜面の入手には昔から苦労していた様子ですし、お金が無いから自分のパートだけ耳コピーというのも多かったかと。
それが、全パートを一気に片付けられるのですから。
現代では当たり前なのかも知れませんが、著作権も厳しくなったので、逆にお金が掛かるのかもです。
当時は(MIDIの)打込みに頑張った方々が「無料でも俺の作品を聴いてくれ」状況だったのかも知れません。

当時自分が利用していたPCで、音を鳴らしてくれるサウンドカードだけは拘りがありました。
キーボーディストからは玩具と見做されていた類でもあったのですが、物理音源を搭載したサウンドブラスターは驚異的な再現力で。
鍵盤を備えた本格的なシンセサイザーにちっとも負けておらず、これが僅か数万円で手に入り。
そんな音源で自動再生された音は、あのバンドメンバーも驚きで。
冨田勲さんはその辺に拘りが無かったのか、海外での屋外ライブではノートパソコンに外付け音源だけを持参だったりで。
元々は巨大な箪笥の様なシンセサイザーに囲まれた楽曲制作だったのですが、先進的な人ほどそれまでのスタイルに拘らないのだなぁと。

ただ、自分は音作りをほとんど経験したことが無く。
社会人になってからシンセサイザーの類を幾つか所有してみたものの、プリセットの音だけで十分満足してしまい。
昔のキーボーディストはオリジナルの音作りに拘ったらしいのですが、それっぽい音はプリセットの範囲で十分に賄えてしまい。
そもそも、アナログシンセサイザーの初期にプリセットなどといった概念も機能も無かったのでしょうが。
そんなことに時間を費やすよりも、ボタン一つで音を選べる時代は演奏の方に時間を割いた方が有効にも思えていました。

MIDIでの打込みも一時期楽しんだものでした。
しかし、生演奏に耐えられる技量の方が大切に思えていて。聴衆ともバンドメンバーとも一緒に楽しめまして。
ハリウッド映画のワンシーンで、バーに置かれたポンコツピアノで伴奏し、その場の皆で大合唱なのが理想であったり。
誰もが知っている唄を一緒に楽しめるなんて最高ではないですか。
上手い下手ではなく、一緒に楽しめるのが重要で。

昨夜は坂本龍一さんの訃報にあれこれ思い出を辿ってしまい。
昼間にはもう一つ残念な知らせをTwitter上で観掛けてしまい。
某国営放送の「のど自慢」が生バンド演奏をやめてしまうそうで。カラオケ大会になってしまうのでしょうか?
あの番組の面白さは「独創的な歌い手のテンポに合わすバンドが見物」でもありまして、そこに人類愛を感じたりでして。

自動演奏を否定する訳では無いのですが、生演奏の面白味は色々と残っているかと。
テクノ路線ではYMOよりも早く登場したクラフトワーク。
十年以上前のライブ映像で驚いたのは、ステージに楽器らしきモノは見当たらず、最新式のノートパソコンを前にしたオッサン達が並んでいるだけで。

プロデビューを目指していた音楽仲間の友人は、プロモーションビデオか何かの撮影で「弾いているフリ」を求められたそうで。
それには抗議したそうで。
弾いているフリよりは、ステージ上で何してるのか謎めいたクラフトワークの方が潔いのかもなぁと。

コメント