坂本龍一さん

坂本龍一さんが他界されたとのニュースが。
二日前三月三十一日の深夜に娘さんがDJを担当したFM番組を聴いたばかりでした。
番組は高橋幸宏さんの追悼特集で。
あの番組が生放送だったのか不明ですが、放送の三日前にお父さんが亡くなられていたとは。
番組の最後でDJがすすり泣きされていて、思わず自分ももらい泣きでして。
言葉にならぬ表現でして。

YMOにしても坂本龍一さんにしても自分は語れる程の知識が無く、詳しい方に恐縮しつつ綴ります。
70年代の終わり頃だったかAMラジオから流れる「スネークマンショー」とか、お洒落な大人達のシュールなジョークがカッコ良く。
当時は自宅に何故か「初歩のラジオ」という月刊誌が転がっていて、その中にはシンセサイザーといった最新の電子楽器も紹介されていて。
現在の自分の趣味なアマチュア無線は、あの月刊誌の影響もあったと思います。
兄は当時からシンセサイザーに夢中でした。家ではYMOが大音量で鳴り響いていて。
なので、当時から自分もリアルタイムで耳にしていた坂本龍一さんで。

しかし、テクノのブームもひと段落した数年後には古い存在になったとも思えました。
あの当時は流行り廃りのサイクルが短過ぎまして。
ちょっと前の流行はダサさの象徴でもあり。それは音楽に限らずで。

次にYMOというか坂本龍一さんを耳にしたのはクリスマスの夜でした。
戦メリの影響もあったかと思います。
自分が貧乏大学生だった頃、クリスマスの夜に放映されたテレビ番組で。
坂本龍一さんの美しい演奏とトークがしんみり染みる番組で。

プロデビューのキッカケは、若かりし頃にバーのカウンターで隣りの席にいた誰かの音楽談義だったそうで。
その延長でこのままズルズルと続いてしまったとも。
ただ、演るからには全く手抜きが出来なかったとも思います。
元々は見た目に無頓着だったらしく、音楽で関わったお洒落な方々から色々とアドバイスを受けたとも。

「もし無人島で一人きりだったら、何をしている?」との質問にこんな答えも。
「水車を作って、響きの良さそうな木材を羽につけて、自動演奏をさせていたかも」と。(これもうろ覚えです)

あと、売れっ子だった時代に何故かクイズ番組に。
高校時代だったかの学祭で、何かの劇を演じるハメになり。
立候補したその役が番組の質問でした。
答えは「女王様」で。
ウケを狙ったのか謎ですが、回答直後の凍り付いた出演者達の雰囲気が面白かったです。
「ぴったしカンカン」という久米宏さんが進行を務めた番組でした。

当時の日本の一部のミュージシャンはテレビを嫌っていたというか、出演を拒否する方も少なく無く。
珍しくテレビに登場しても、敢えてラディカルな行動に出る方も少なく無く。忌野清志郎さんなどが最たる例で。
しかし、ラジオではありのままであったり。坂本龍一さんがDJを務めたFM番組では数分間無音の状態もあったそうです。
これも伝説であったり。

結局、商業化されてしまった現代の音楽なのですが、当時は色々とドラマがあったなぁと。
リアルタイムで知れた世代は幸せだったのかも知れません。
昔は良かったとか面白かったとかの嘆きとはまた別で、アーティストの隠れた主張が面白かったりで。

模範的回答は当然知っていたのかも知れません。
そこを敢えて自己流で回答するのが素晴らしく。

まだまだ綴れることがありそうですが、取り敢えずここまでです。上記についてはどれも「うろ覚え」ですので、突っ込みはお手柔らかに。
そして、今宵は久し振りに同い年のイトコと音楽談義だったりでした。

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