Twitterのトレンドに地下鉄サリン事件が。
1995年3月20日の事件、28年前の今日の出来事で。
あの日の自分は何処で何をやっていたのかパッと思い出せずで。
松本サリン事件や教祖逮捕の日は職場の小さなテレビ画面を眺めていた記憶が残っているのですが。
当時の自分は研究開発部門に所属していて、お昼休みの後半は広い実験室で同期達と馬鹿話をするのが楽しみで。
そんな日々でしたが、某宗教団体関連の事件は恐ろしく、ちょっと他人事でも無かったので真面目に語り合ったものです。
あの教団本部があった南青山は、自分の居た会社の契約先でもあり、現場時代の同期は幾度か対処したことがあったそうで。
あの様な大きな事件を起す少し前だったと思うのですが、怖い噂は既に広まっていた中での対処は、同期も気が重かったそうです。
無事に戻ってこれるのかな?と。
入信した子供を取り戻したい家族の問題くらいは既に世間を騒がせていましたし。
地下鉄サリン事件の舞台となった幾つかの路線は、自分も学生時代に毎朝利用していました。千代田線のあのルートは自分の通学時間とも重なっていて。霞が関の少し手前の新御茶ノ水までのルートでした。
事件が数年ズレていたら、自分も巻き込まれていたんだろうなぁと。
若しくは自分が何度か留年していたら、同様で。
前例の無い事件を幾つも起した団体、日本の治安レベルが何段階か落ちた感でもあります。
どうして日本で?とも思えてしまい。
学生運動が盛んだった時代は、左系の人が相当暴れていた様でしたが、誰の犯行なのか直ぐに判った事件が多かったと思います。得意げな犯行声明みたいなのがありましたし。
それが、あの団体の場合はしらばっくれていて。
誰が何のためにこんな大きな事件を起したのか、ハッキリするまでの期間は誰もが不安だったでしょう。
メディアでは薄々知れていた様ですが、敵に廻したら危険という風潮になっていて、某テレビ局も団体の圧力に屈し、結果的に被害者も出てしまったり。
たまたまですが、先週は某芸能事務所の闇な部分の対応についても、日本のメディアは弱腰の様です。
海外のメディアであるBBCは、その辺を含めて問題提起していました。
某芸能事務所のタレント達がどれだけ被害に遭ったのか存じませんが、お茶の間で見掛けるタレントの何割かは洗礼を受けてしまったのだか。
自分が若かった頃に売れっ子だったタレントも洗礼を受けたらしいとの噂は当時からありましたが、メディアでそれを観掛ける機会はほとんど無く。
売れ筋タレントを多く抱える芸能事務所の圧力や、それに対する忖度というのは計り知れずです。
ジャンルが異なりますが、某大手広告会社の社会的立場も相当凄そうで。あれだけ問題を起しても、大した扱いされませんし、罰を受けてもビクともせずで。
特に政府が大きなイベントを企画した際は、巨大なお金を預かる元請けになりがちで。民主主義国家の看板はいったいどうなっているのだか。(社会主義とか共産主義に近く)
上記の数々の問題は、ジャーナリズムがまともに機能していない国だからとも思えてしまい。
まぁ他人任せな自分の考えではあります。
話を少し戻して、千代田線での思い出は学生時代に幾つかありました。
自分の出身だった北海道の高校生は地元志向で、都内の大学に進学したのは現役ですと自分くらいで。
親の所得が限られた学生が多かったものの、自宅通学を選ばなかった学生も多かったですし、それでいて北海道から離れたがらない様子で。
ただ、東北や信越方面の国立大に進学した僅かな連中は、ツーリング先の宿として大活躍してくれました。
逆に都内の自分の部屋は、高校時代の友人にとって便利な無料の宿と化していて。
海外旅行の往復の途中とか、論文の発表とか、浪人組の受験の拠点とか、就職試験とか、単なる東京旅行とか。
いったい、何人泊めたのだか思い出せないくらいで。
まぁ持ちつ持たれつの関係でしたし、久し振りに会うのは話題も豊富で。
皆、田舎から出てきたものなので、東京の都会の大きさや人の多さに圧倒されていました。
自分の大学の同期も、ポンコツ車でドライブに誘い出してくれたり、お金は掛けられなかったものの、それなりに楽しんでもらっていた様です。
部屋に泊まった友人とのお別れは朝の千代田線になる場面が多く。
自分は夜間大学の学生で、昼は別の大学で働いていたので、朝一緒に部屋を出る流れでした。
当時の朝の千代田線は相当な混雑ぶりでした。大きな旅行鞄を抱えての乗車は慣れないと上手く行かなかったかと。それが東京での最後のイベントでもあったかと。
その辺は自分が上手く案内していて。始発の電車を少し待てば、何とかなりまして。
しかし、自分はお別れの場が下手でもあって。
あの満員電車で涙ぐんでしまったことも。
みんないい奴ばかりでした。
コメント
東京への旅行の際には部屋に泊めていただき、大変お世話になりました。
急遽のお願いだったにも関わらず快諾していただき、有難うございました♪
新大久保のボロアパートに暮らしていた頃は、終電を逃した酒癖の悪いのが突然転がり込んできて暴れたりもあったりなので、地方からやってくる友人は全然問題ありませんでした。
あと、自分も弘前や新潟では突然転がり込んだパターンなので。ほんと、持ちつ持たれつの面白さがありました。
一つだけ誤解されたままですが、北綾瀬で暮らしていた四年間に付き合った女性は一人も居なく。遊びに来た女性は何人かいましたが、手出しはせずで。
何だかよく判らないのですが、母も自分は女性と派手に遊んでいる様な誤解が最期まであって。
あの時、東京に行き当たりばったりで行って、滞在日程も決めないままだったんだけど、何日目かにSUKIYAKI氏から「今日から彼女が来るんで、もう泊められない」と、俺たしかに聞いた記憶があるよ。
あれって、いわゆる「逆箒(さかさほうき)」のメッセージだったのかもww
自分の記憶では、それはルノワールさんに言われてしまったものの、敢えて否定しなかった次第です。
当時の実家のトラブルも含めて、言ったところで通じないだろうなスタンスだったのかも知れません。
特に大学時代はぶっ飛んだ出来事が多過ぎまして。信じてもらえないだろうなぁと。
先ほどのニュースで全国の地価情報が。
都内では綾瀬の上昇率が高かったそうで、これはちょっと意外でした。
当時の治安の悪さを知っているもので。ただ、北綾瀬も含めて、随分と環境は整った様子です。
二つ先の駅な金町は柴又の隣駅で、ここのところラーメン激戦区に進化中。
狙って住んだ土地では無いものの、ありがたやです。