エマージェンシーコール

昨夜、放映されていた「エマージェンシーコール」というドキュメント番組がインパクトありました。
119番の電話の受け手側の取材番組だったのですが、緊迫のやり取りが幾つも続き。

25歳の息子が服毒自殺を図り、泣きながら助けを求める母親とか、高熱の赤ん坊の呼吸が止まり冷静さを失ったお父さんとか(奥さんが電話を代わったら、かなりスムースに)。
途中から泣きながら観ていました。

32年前のこの時期、もしかしたらこの夜だったかも知れませんが、自分も119番に救いを求めていて。
普段お世話になっていたカフェレストランに5人組の強盗が押し入り、マスターと奥さんがめった刺しに遭ってしまい。
助けを求められた自分が警察や消防や家族に連絡するハメになり。
消防に電話した際は、被害者が一人なのか二人なのか何度も聴かれ、途中で頭にきてしまったり。
「とにかく早く来て!」で電話を切ってしまい。

自分はマンション三階のベランダ、被害者二人は歩道でのやり取りだったので、細かいことは判らずでして。
ともかく、深夜に歩道からの大声で叩き起こされた状況で。
119番の運用が今でも同じなのか判りませんが、電話を切った後に向こうから電話が掛かってきました。
ただ、その時は次に何が出来ないかまたベランダで対応していて。

あの経験はその後にトラウマになってしまい、未だに夢に出てきたりです。
下町暮らしだった頃の大家さんが倒れてしまった場面でも、自分が何故か119番で。
そんなのを思い出しながらこのドキュメントに吸い込まれてしまいました。

自分、番組の放映中は音声のやり取りも実録なのかと思っていて。あまりにも臨場感があり過ぎて。
しかし、一つだけ違和感が。電話の相手の声がクリア過ぎました。
固定電話にしても携帯電話にしても、電話は音声の帯域が狭まれるもので、音質はもっと悪いハズなのにと。

昨夜は早めに寝れたのですが、また妙な時刻に目を覚まし。
Twitterであの番組を検索したところ、相手の声は吹き替えだったそうです。
あらら、まんまと騙されたなぁと。
まぁ実話を元にしたストーリーだったとは思うのですが。

七月に亡くなった母、その対応で自分は揺さぶられてばかりでした。
あれだけ面倒で距離を置きがちだった母なのに、いざ死が近付いてしまうと、それまで冷たい対応ばかりしていた自分が許せなくなってしまい。

母については煙たがっている自分に対しても、事あるごとにちょっかいを入れてきて。
それに対して自分は内心「面倒臭いなぁ」な対応ばかりでした。
特に母が一人ぼっちになってしまった晩年十年間は、そんなのばかりで。
自分が一番困っていた大学時代は自分など家族揃って邪魔者扱いされていたのにと。
イザ一人ぼっちにになったらズルいよなぁと。

だいたい、自分はあの身勝手な家族が嫌になってしまい、結婚に対して無駄に慎重になってしまい。
若かりし頃は誰しも熱い恋があると思うんです。しかし、冷めた後の二人というのはこんなものなのか?と。二人だけが騙し合いならまだ構わないのですが、子供達まで巻き添えにするなよと。
あれでは、人を信じちゃいけないくらいの教訓というか、反面教師でしかなくなってしまい。

裕福で無くても、助け合っている家族が憧れでした。自分にとって。
若かりし頃の自分は、そんな家に泊りに行くのが大好きで。
年末年始は友人の実家に泊りに行く機会が実際に多く。地方出身の友人達は東京に残っていないし、嘗て暮らしていた埼玉の友人宅に転がり込みがちでした。
みんな優しく振舞ってくれるもんだから、手土産にドーナッツを大量に持参したりして。
どうやったら、こんな暖かい家庭を築けられるんだろう?と。

そんな冷めた目で社会や家族を診ていた自分も、何だか駄目だったと思えてしまい。
勿論、親のせいにするつもりもなく、自分が考えて決めたことです。適齢期だった頃の自分は優し過ぎる乙女に、同じことが自分に出来ないだろうと去ってしまったり。
そんなのばかり気にする性格になったのは、持って生まれたものなのかなぁとか。

そんな憧れの家族でも、妹さんが自殺未遂をしてしまった場面があったそうで。
三人の兄に甘えてばかりの優しい子で、学業も優秀だったのに。
お風呂場で血まみれになった娘さんを見つけた母親は半狂乱で、普段兄達から馬鹿にされていてばかりだった三男坊が「俺に任せろ」と繋げたらしく。
二人の兄は実家から出ていたので、三男が逞しかったらしく。
ともかく、よくやった。

またしても、話が大幅に逸れました。
そんなこんなで、緊急車両が近付いてきたら、率先してハザード出して停まる性質です。
頑張ってくれと。

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