ラーメンの約束

先日、ローカル局のパソコンの設定に付き合ったお陰で、ラーメンをご馳走してもらう約束をしたのですが、これがなかなかタイミング合わず。
奢ってもらう方から話を出すのもおこがましく、なかなか言い出せず。
だいたい、ローカル局も自分も食事のタイミングが普通とはズレていまして。

双方ともお腹が減っているタイミングが重要だよなぁと。
ローカル局からのお誘いも幾度かあったのですが、自分の食事直後だったりで。

今日は朝から悪天候と寒さが続き。
一度は自分から誘ってみようかと。ローカル局は車もあるし。
お昼過ぎにいつもの周波数でローカル局を呼んでみました。
しかし、これが今まさに食事を摂ろうとしたタイミングでした。既に調理が終わったタイミング。
どうにも、事前に約束でもしない限り、ラーメンの機会は永遠に訪れそうもなく。

ローカル局としては数万円の価値があるパソコンの対応だったそうです。
自分はサラリーマン経験しか無く、プライベートでは町のボランティア活動が長く。
なので、人からお金を徴集するという行為に慣れておらず。
相手がどうしてもお礼をしたいというのなら、一回の食事の範囲にしていました。

この考え方は、お金にまつわるトラブルも無く、賢明な選択だったとも思えるのですが、プロの方からすると営業妨害でもあり。
そういった指摘をされてしまうことも実際に幾度かありました。
逆に、それを商売にしたら儲かるんじゃないか?といったアドバイスも。
対処した内容によっては、ソフトウエアとハードウエアの知識がそれなりに問われましたし。

素人でも勉強を重ねて失敗を重ねれば上手く行くとは思うのですが、恐らく自分より数倍の時間が掛かるかと。下手をすると数十倍。
そういった時間の節約まで考えたら、プロの存在価値はあるのかもなぁと。
時間をお金で買うということで。

しかし、それを仕事にしようとしても、どうやって集客したら良いのか謎で。
そもそも、それほど需要があるとも思えない分野ばかりで。
技術面では一時的な流行があったりで、分野によっては人手不足だったりです。しかし、それはあくまでも流行であって、数年程度の話かと。
一生それで喰っていく補償など無く。

まぁ考えようによっては、数年喰っていけるだけでも安泰なのかも知れません。
十年二十年続く仕事や会社は僅からしく、それを考えたら個人事業主が数年喰っていけるだけでも価値はあるかもで。

数年前の夏の出来事になるのですが、ちょっと考えさせられた場面が。
親しくしていたお店が地元の花火大会で、お店の前に屋台を出して焼きそば等の販売をしていました。
例年の出店でそこそこ儲かるそうです。
そこへその年は素人さんが近くに屋台を広げたらしく。販売する食べ物もバッティングし。

問題はその値段。ボランティアだからと半値以下だったそうで。
これは問題になったそうです。プロの方がやっていけないと。
なかなか考えさせられました。
ボランティアでやっている人は趣味の範囲で、皆が喜んでくれればそれで良かったそうなのですが、生活の糧にしているプロの方にとってはたまったもんじゃなく。
特に露天商専門の方は季節や天候によって売り上げも全く変り。
これだけ条件の整ったタイミングで想定外の安価なライバルが現れたら、生きて行けません。

現在の地元な柴又でも不思議な光景が少なくなく。
都心から少し離れた柴又、昭和臭は帝釈天の参道に生き残っていて、それが貴重で。
都心からも近いちょっとした観光地なのですが、平日の昼間は人通りもまばらで。そのほとんどは観光客。
著名なお団子屋さんも鰻屋さんも、この程度の人の流れやお客さんで、よく商売が成り立つなぁと。
しかし、カラクリはあったそうです。お正月の三が日は年間売り上げの何割か稼げるそうで。
確かに、全盛期の竹下通りより混雑していました。
成る程なぁと。

一種の季節商売だともいえます。
地元民としても、たまには美味しい鰻やお団子を頂いてみたいものなのですが、参道のお店は観光地な値付けで。
だったら、地元民価格みたいなのを導入したら、普段からそれなりにお客さんも呼べそうで。
しかし、地元民か否かの不公平が生じてしまいます。

観光で訪れたタイランド、バンコクもプーケットも屋台では地元民価格というのが存在していたそうです。
だから、地元民も愛用しがちだった様子で。
日本ではほとんど普及していない制度なのですが、普段から雇用を守るとか季節商売にしないといった安定感では十分に理にかなった形態にも思えます。

江戸時代から続いた柴又の老舗も店を畳んだ数年前。
コロナ禍の大きな波をモロに喰らってしまったらしく。だいたい、観光バスも停車できるツアー客が主なお客さんでしたし。
案外、小さな店の方が踏ん張り効いていたりで。

柴又パスみたいなのが地元で導入されたら、何か変わりそうです。
普段からそこそこ人通りのある参道なら、たまたま訪れた観光客も良い印象になりそうですし。
これが年中ガラガラだったら、寂しい印象しか残らなそうでもあり。
鬼怒川温泉の廃墟ホテル群みたいになってしまってからでは、別の意味での名所でしかやっていけそうもなく。

タイトルと本文の結末がかなり離れた記事になってしまいました。

コメント