高校時代の同級生

高校時代の同級生だったH君とは卒業後も交流がありました。
高校時代も当時の実家に幾度か泊まりに来たことも。自衛隊の狭くて古い官舎だったものの、夜中まで語り合ったものでした。
高校でどんな科目でもトップに近い成績だったH君ですが、ピアノが弾けた自分をちょっと羨ましがっていました。
H君の家には立派な天体望遠鏡等、学業に必要なモノは何でも揃っていたのですが、ピアノといった目立った楽器は特に無く。
紙の様な鍵盤で練習しているのは、ちょっと気の毒でした。たぶん、本物の楽器があれば直ぐに上達するんだろうなぁと。

H君は現役で北大に入り、自分は東京の大学へ。
H君のお父さんは転勤族で、途中で実家が青森に移ってしまったそうです。
なので、自分が北海道へ帰省した際は同窓会の後にH君が自分の実家に泊ることもありました。

H君が東京へ訪れる際は、自分の部屋に泊まる機会が幾度か。
特に自分の上京当時に借りていたアパートはエアコンが設置出来ず、あの夏に泊まりに来たのは大失敗だったと思います。
あの時はH君の友達も一泊しており、熱帯夜の中エアコンも無しで男三人が六畳で一夜を明かすというのは苦行に近く。
その後に引越したワンルームにもH君は論文発表のタイミングで訪れています。この部屋は快適だったハズなのですが、一緒に酒盛りをしたお店で大きな事件に関わってしまい。

H君が北海道へ戻る直前、夕刻まで酒盛りを楽しんでいたお店、その晩に強盗傷害事件が発生し、結果的にH君は札幌で指紋を取られるハメになってしまい。
自分もH君も事件のタイミングでお店には居なかったのですが、被害者のマスターは生死を彷徨う状況で、犯人達は誰かも判らず、警察も捜査の上で必要な指紋採取だった様です。
まぁ、凄いタイミングで上京していたH君でした。そんな経験自分もあの一度だけですし。

当時のH君は北大の院生でした。
自分は夜間の五年制の大学に通っていたので、お互い現役で学部に入っていたものの、自分の方は卒業の年が一年遅れる流れで。
一人っ子で英才教育を受けてきたH君が自分はちょっと羨ましかったりしたのですが、H君からすると何にも束縛されない自分の生き方が羨ましかったそうです。

その後にH君は東大の研究所に進みました。学生なのか研究者なのか既に謎の領域。
オホーツク海の水温を研究対象にしていて、その成果が認められたそうでう。
その後も国の支援でコロンビア大学に留学したり。
名前はよく聴く大学だけど、コロンビアにあるワケじゃなくニューヨークにあるそうで。
その程度の知識しか自分には無かったものの、世界でトップレベルの大学だったとずっと後に知りました。

H君と最後に会えたのが何時だったか覚えていません。
研究職は任期制なので、いつまで続けられるかな不安は残っていたそうです。

実家の母は、過去に市内の文化活動でH君のお母さんとたまたま知り合いだったそうです。
H君の実家が青森に移った以降もしばらくは交流があったそうで。
なので、H君のその後については自分よりも母の方が詳しかったりでした。

高校、大学時代にH君と一夜を明かす場面では、この作品をどう思う?とか、この曲どう思う?とか意見を求めあう場面が多く。
梶井基次郎の檸檬が自分は好きで、その短編を読んでもらい感想を聴いたところ「キチガイじゃないの?」との一言。
まぁ糞真面目なH君だし、こういったゲテモノな作品は受け入れられないのかなぁと。しかし、そのストレートな評価は逆に面白かったです。
H君は高校時代に文芸仲間と自費出版もしていて、自分は二冊購入しています。その二冊は今でも手元に残していて、過去に部屋を訪れたH君も直ぐに気付いて喜んでいました。

当初、真面目過ぎてつまらない男かと思っていたH君なのですが、自分のアホな誘いにも色々と乗ってくれました。
案外付き合いの良い奴だなぁと。
酒も煙草もバイクも嗜む自分とは色々と違いがあったものの、お酒だけは未成年の頃から付き合ってくれて。

あと、H君はリスクは取らない安全パイ派なのかと思っていたら、そうでもなく。
高校時代、生徒会長に立候補したのは当初一人だけだったのですが、自分には信頼出来ない奴で。悪く言ってしまうとカッコだけで中身空っぽというか。
一部では人気のある奴だったのですが、こんな奴に任せたら学校が滅茶苦茶にされそうで。
自分の親しかった連中も同じ意見でした。

そこで、なんとH君が突然立候補。
これは自分も驚きました。
目立たぬ文化活動をコツコツ進める印象だったH君が、目立つ奴と戦うことに。
落選する危険性も十分にあるのに、どうしてまた?と聴いたところ、気持ちは自分と同じらしく「生徒に信を問いたい」と。
これは凄いと思いました。

結果的にH君は当選し、生徒会長に。
H君は学校をまとめる立場、そのせいもあって自分は学級委員に。

H君は研究職としても実績を積み重ね、現在は国立大学の教授だそうです。
政治家でも十分にやって行けたとも思っています。
久し振りに名前を検索したところ、先日の新潟での豪雨災害についてニュースで語っていました。
『「過去の経験に頼らないことが重要」線状降水帯の恐ろしさ』まさにその通りだよなぁと。
90年代初頭から30年以上気候変動についてブレずに研究し続けていて。あの時点でそのテーマを選んだ洞察力がまた凄く。

しかし、髪は相変わらずフサフサなものの、白いのが随分と増えたネ。

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