化粧

お昼時、駅前に出掛けていたところでLINEに着信。
実家へ片付けに訪れていたイトコからの連絡でした。ビデオ通話のお誘いだったのですが、自分はその設定を入れていない為、メッセージ以外の着信が上手く行かず。
おまけにスマホが高温でカチカチに熱く、熱暴走気味。
すぐに電話で掛け直しました。

部屋が片付いていたとのお礼から始まりました。
元々、だいぶ片付いていましたし、自分はちょっと手直しした程度でして。
そもそも叔母が訪れる前までは居間から何からゴミ屋敷に近かったそうですし、三週間前に自分が帰省した時点では既に十分片付いていました。
母の遺品になりそうな宝飾類をテレビを撤去した台に、祭壇の様に飾って置いたりもしたのですが、これも叔母が事前にドレッサーに揃えていたものばかりで。
母が居た状態では、母に一々許可が必要で、なかなか進まなかった作業だとも聴いています。
他の部屋も少しは片付けたかったものの、何をどうしたら良いのか解らず、玄関から居間までの目に付く部分までしか自分は手を出せず。
叔母の苦労に比べれば、自分のやったことなど全然大したことなく。
遺品や形見として残すのは荷物にならない小物が良さそうで、あの祭壇もどきの上だけで十分かと思っていたりです。
腕時計がやたらと揃っていたものの、どれも電池切れだったと思われますし、そんなに高価なモノでもなさそうですし、これも扱いが難しいだろうなぁと。
ネックレスやイヤリングとかは使い道があるのかも知れません。ともかく自分の疎い分野ですし、品物としての価値観は全く謎で。
安物にしても母を着飾った一部というか。

電話の後は、地元でお世話になっていたお店へ挨拶に。
お店は諸事情でオーナーが変ってしまうそうで、自分が貸し出していた古い物を引取りに。
引継ぎが上手く行っていない部分もあるらしく、ちょっと心配で前日も様子見に伺ったりしていました。
自分は頻繁に行ける立場にないし、これが最後の訪問になるかもなぁと。
ただ、柴又へ友人が訪れて希望があるのなら、また行くのだとは思います。

新しいオーナーさんは健康そうな方でした。
ただ、不思議なことに化粧っ気が全く感じられず。これがちょっと不思議でした。
元々のオーナーさんもアルバイトさんも、その辺は抜かりなく。お客さんも精一杯着飾った方が多かったもので。自分の様な野暮ったいのはレアでして。
三週間前の帰省で九年ぶりに再会した母はえらく老けて見えました。病で衰弱していたのもありますが、化粧も出来ない状況が影響しているんだろうなぁと。
結果的に葬儀となった帰省では、自分の到着前に叔母が死化粧をしてくれていて、母は随分と若返っていました。人様に見せられるオモテというか。
これまで化粧について考えたことも無かったのですが、妙なもので同じタイミングで二人の化粧について考えてしまいがちなこの頃でして。
絵の具を塗った喰った様な厚化粧は苦手なものの、最低限は必要なのかなぁと。

またしても母に纏わる話になってしまいました。
あまり引っ張っていても周りが心配してしまうので、避けたい話題なのですが。
死に際に会えなかった罪悪感は、それを経験してから理解出来たりで。
ただ、自分はギリギリまで自宅に居れたお陰で、遺影に使える写真を発掘出来たとも思えてきました。
それは一生残るもので。
否、一生は既に終わっていますし、表現が難しいですネ。

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