千歳の実家は秋頃に片付けが終わった後、手放されるそうです。
十年前に叔母が買い取り、母の生活費等に回されていました。
今回の葬儀を含めて叔母からすれば大赤字でしょうし、自分も住むつもりは無いですし、手放すのは仕方ない事です。
買い取る際は、叔母からも連絡がありました。かなり気を遣っていた言葉でした。
母について自分は実質何もしていなかったのですし、実家の所有権が変るなど問題で無く。
帰る場所は残っているにしても、それは母が暮らしている内という意識はその頃からありました。
自分が住みたいというのなら暮らさせてもらえたのかも知れませんが、そんな身勝手出来る立場に無いですし、景気の悪い北海道で仕事を探すのは東京よりも困難で。
たまに帰省するのは楽しみでしたが、それだけのために残すのは無理があります。だいたい、家の周りの木々が成長し過ぎて歩道やお隣さんの領域まで伸び放題だったりで。
自宅の小さな庭もそうなのですが、木を直接地面に植えると数年単位で恐ろしい成長。ちゃんと手入れをしないと凄い事になります。なので、桃の木もあえて鉢植えにしていて。
人が暮らして手入れをしないことには、木なんて植えるべきではありません。余程広い土地を持っているのなら別ですが。
自分も園芸を趣味の一つにしなければ気付かなかったことです。長期的な計画が見えないのなら、無暗に育てるべきではないと。
これは園芸に限った話でなく。
そんな流れで、実家を離れる前夜は「これが最後なんだよなぁ」と。しんみり。
自分のせいでもありますし「千歳に帰省」という言葉もこれが最後で。
母の葬儀も無事終わり、母の形見になりそうな小さなモノも少し飾られた前夜でした。
尤も、この作業のそのほとんどは叔母がお膳立てしてくれていて、自分は僅かに手に触れただけです。
形見になりそうな装飾品について自分は知見が全く無く、お世話になった方達へのプレゼントな作業も叔母に依頼しています。これは誰に相応しいとか自分には謎で。
それ以外は、恐らく廃品になるのかと。
しかし、東京ではその日に別の問題が起こっていました。
北海道のことでしんみりしている場合では無くなっていました。
大学時代から助け合って、馬鹿しあって、大喧嘩して、それでも続いてきた友人夫婦の娘さんが緊急入院。
身体の一部が機能しなくなり、目指してきた将来に支障が出そうな状況です。幼少期から親子揃って頑張ってきた夢が。
明日、直ぐに行くと約束。
嫁さんのお腹が膨らんできた頃からの付き合いな娘さんです。
二足歩行出来る様になってからは一緒に海水浴にも。冷たい海水に泣きじゃくっていた娘さんを抱えていたら、暖かい何かが自分に流れてきちゃったり。
なんじゃこりゃな場面も今や全部笑い話。赤の他人ではありませんでした。
病院は15時で追い出されてしまうそうです。
それは間に合わないので、夫婦と下の娘さんが自宅まで来てくれる流れになりました。
自宅近くのファミレスで七年ぶりの再会となりました。柴又に自分が引越してから初めての再会です。
あれだけ聞かん坊だった下の子は、まだ小学生なのにやたらと気遣う素振り。そんなのに一々感動して褒めるオッサン。
何も解らぬ下の子のワガママに、上の子は仕方ないわねぇと口にもせず譲っていた姿は七年前。上の子も随分と大人になったなぁと。
もう少しで自分の身長も抜かれるらしい上の子は病院で寂しいとのLINEも届き。
ドラマは続く。
お陰で、実家のことなど二の次になったぞよ。
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