お悔やみ欄

帰省した際、実家では叔母と葬儀屋さんが既に打合せ中でした。
自分の到着後は喪主を誰にするかからの話し合いが。
他にも決めるべきことが多く。
新聞のお悔やみ欄は掲載することになりましたが、一週間後の7/26掲載としました。
この日であれば葬儀は一通り終わっており、身内はみな実家から離れているハズで。
北海道ではメジャーな四紙に掲載される流れとなりました。

遺品整理中に突然訪問してきた友人は、メジャーな新聞の記者で頑張っていました。
忙しい中、わざわざ車を飛ばしてきてくれました。
23年ぶりくらいの再会、短い時間に近況報告を。とても全部伝えきれずで。

友人のお父さんの葬儀は、自分が合衆国の旅行中で知らず、帰国早々訃報を知り友人のご実家へ飛んで行った記憶です。
告別式が終わって何日か経っていたのかと思うのですが、ご家族は全員残っていて、旅行の面白い話を聞かせてほしいと友人のお母さんから言われてしまい。
そうはいっても、この場でそんな話など出来るワケもなく。

新年早々、自分は友人の家へ遊びに行き深夜まで酒盛り。途中の話題では家族がこの家に住み始めた頃のお父さんの思い出話を。当時は何もない原っぱのような場所だったそうです。
家族でも聴いたことが無かったとか忘れていた話題をお父さんは語っていました。
友人と自分は昔話に花が咲き、ご家族が布団に入った後も飲み続け。

数日後に自分は二週間ほど合衆国へ旅行でした。
マンハッタンではタックスフリーデー等が重なり、ブルックスブラザーズのタイを何本かお土産に購入しました。日本で購入したら倍はします。

帰国して当時間借りしていた実家へ戻るとS君から電話があったそうです。母に用件は何だったのか聴いても、特に伝えてくれなかったそうです。
S君にどうしたの?と電話したところ「親父が亡くなった」と。
喪服を着てS君宅へ飛びました。

玄関で迎えてくれたS君は自分の姿に「なんつー格好で来るんだよ!?」と驚いていて。(葬儀後は普段着が良かったのかな?)
居間に上げて頂いた後は、お正月と同じメンバーと再び語り合う流れに。
何でも、あの晩にビールを飲み尽くしてしまった自分達の為に、お父さんはあんな寒い中をコンビニまで買い足しに伺っていたそうです。
これは未だに罪悪感が残っています。あれがキッカケで他界したとしたら、俺のせいだよなぁと。

今回の母の葬儀が終わった後に訪ねてきたS君は香典を持参していました。
受け取れないと拒むと「あの時お前だって届けたろ?」と。S君の母親もあの時のことは良く覚えているそうです。
「そうだったっけか?」で仕方なく受け取ることに。ちょっと高価なタイをお土産に持参したのは覚えているのですが。
S君からは新聞のお悔やみ欄は断ったの?と聴かれてしまい。
亡くなった一週間後に載る旨伝えました。

その掲載日が昨日でした。
自分は既に東京へ戻っていますし、そもそも新聞も取っておらず、あれは道内だけで載る記事でしょうし。
S君へLINEにて記事が見つかったら写メしてほしい旨試しに頼んだところ、直ぐに届きました。
母の名はちゃんと載っていました。喪主は三男圭介とも。
これで示しがついた感でした。
全部終わったんだなぁと。

実際、一昨日まではちょっとしたことで涙ポロポロでした。こんなのが一生続いたら使い物にならないなぁと自分自身が心配になったり。
それが昨日からはだいぶ落ち着きました。こんなのも時が解決するのかな。

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