細かい部分はさておいて
現地での葬儀の予定表を横目で見ながら。(思い出したら随時追記中)
【7/19】
04:00に起床。
04:10に叔母から電話。こんな時刻の電話取らなくても理解。04:05に母が他界でした。叔母と自分で「間に合わなかった」のユニゾン。
10:30に実家到着、向かうタクシーで喪主を誰にするかとの電話あり。
帰ってくるだけで十分だからと認識していたものの、喪主は自分がやるべきとの叔母の依頼。
北海道の三人と自分だけの計四人の葬儀、お坊さんも呼ばないしカタチだけだからで引き受け。
葬儀会社の佐藤さんと直ぐに段取りが始まり。
死亡届や火葬に必要な書類は既に用意されていて、自分はサインするのみ。
四人だったら自宅で全部済めそうな流れで決定。
その後の記憶が飛んでいます。
夕刻には母を棺に。
叔母の息子さんも無理に休暇を取得して頂き到着。これは心強い。
しかし、夜には母の兄弟全員と連絡が付き、奈良と大阪の四人は断り切れなかった状況に。こういった連絡は全て叔母に任せっきり。明日の朝もう一度話し合おうと。
息子さんと自分は母が以前使っていた寝室で寝ることに。近況報告を一時間ほど。
自分は結局ほとんど寝れず、持参したノートPCで予定表を組むことに。
【7/20】
早朝から家での葬儀はやはり難しいと叔母と話し合い。
家族葬の会場にまだ予約変更可能なのか佐藤さんと電話で調整。
再び訪れた佐藤さんと予約変更が成立。
自分は予定表を組み直し。
奈良の二人と大阪の二人と、出棺作業が重ならない様三人で調整。何とかなりそう。
14:10 駐車場は空港からちょっと離れていたものの、息子さんの運転で奈良の二人と再会し無事実家へ。極端な天候変化だったものの、誰も大雨にあたらず奇跡的。
後から知ったのですが、このとき玄関に居た制服姿の見慣れぬ男性が噂に聴いていた便利屋さん。二月の大雪では母の救助作業まで頑張ってくれていたそうで。(後日お詫びのメール)
15:30 奈良から訪れた二人に出棺を手伝って頂く。全くオモテナシになっていないものの、きっと手伝いたかったハズで。
その後に葬儀に必要な荷物と全員が会場へ。途中途中の大雨、ここでも誰も雨にあたらず奇跡的。
17:40 大阪の二人を空港でお出迎え。今度の駐車場は完璧。さっきのは凄かったなぁと前席の二人で大笑い。
会場に七人が揃い、何時の間に通夜というかお別れ会が始まる。仕事を終えた江別のおじさんが到着。やっと八人に。
集合写真は三脚持参のカメラでいいのが撮れました。
飲むのは自分だけか?と六本入手したビールはあっという間に空っぽ。
三時間ほどで睡魔に勝てず。随分盛り上がってきたし、しばし布団へ行かせてもらうことに。
更に三時間ほど経った頃、「サカナサカナサカナ!」の大声に起床。偉く盛り上がっているなぁ。江別のおじさんは明日も仕事なので一旦帰宅。
ほとんどの身内は、シャワーを浴びて布団へ。
更に三時間ほど奈良の二人と色々なお話を。
その後は一人が布団に、もう一人はそのままソファーでお休み。布団で寝てほしかったのですが、せっかく寝てもらえたのを起こすわけに行かず。
シャワーを浴び、礼服に着替えた自分はローソクと線香が消えない様に朝まで見守り。
今時そんな風習が残っているのか知りませんが、それくらいの知識しか自分は持っておらず。
【7/21】
7:30 朝食。おなかいっぱい。
9:00 告別式。棺は花束だらけに。釘を打つ必要は無く助かり。顔の扉を七人の指で閉じる。
10:00 会場から出棺。白い大きな霊柩車前で集合写真を撮る予定でしたが、自分にはもう無理。佐藤さんと皆さんにお詫びして、息子さんに残りの撮影を依頼。
10:30 火葬場の扉の中に棺が。ゆっくり閉まる引き戸の扉。
その直後に待合室で食事。これ食べるのはかなり根性要ります。まだみんなお腹いっぱいですし。江別のおじさんも再び参加中。
12:00 骨になった母を八人の指で壺へ。骨は意外にしっかり残っていました。癌のあったらしい場所は緑色だと叔母からの指摘。その骨は自分が拾って壺の一番下の方に。
無理しないと外れなかった指輪ははめたままでした。
原型を留めた指輪はパートナーがいる証でしたが、その相手が誰だったのか謎のままです。
一旦会場へ戻り、普段着に着替え。叔母は葬儀費用の手続き。そんな部分ほど任せっきりですみません。
その後、江別の叔父さんの車と帯広の息子さんの車で実家へ八人勢ぞろい。
自分は江別の車に乗り、助手席にて実家までの頼りないナビ役。中心街を離れた途中で帯広の車にサッと追い抜かれ、前席の二人はニヤリ。
ここから先のルートは自分も間違えてばかりで、息子さんが案内してくれるんだなぁと。
何だか通じている。さり気ない気遣い。
生前の母が暮らしていた居間は、叔母が三月に訪れるまでゴミ屋敷の一角でしかありませんでした。
叔母が母を看病しつつも二十年前よりも綺麗に片付けていてくれて。
自分の気付かなかった部分で、この二日間だけでも色々と対応してもらっていたかと。
最後の思い出話に花咲かせた二時間後、大阪の二人を大手振ってお見送り。運転は息子さん。夕刻の便で帰宅するそう。
その後に奈良の二人をお見送り。涙でお別れの言葉がハッキリ発音できず。でも、もう恥かしく無く。
このお見送り、叔母から「ケースケ君も一緒に行かない?」と。
「母ちゃん、もう一人ぼっちにしたくないから」と。
ポロっと漏れた一言でした。かっこわるい。
母ちゃんは十年も一人ぼっちで、何考えていたのかわからないのですが、叔母や自分の訪問さえも断り続けていて。
三月に強行突破で数年ぶりに叔母が訪れた際は当初迷惑がっていたのに、叔母が帰る場面では涙を流した母だったそうで。
なんだよ、寂しかったんじゃんかよ。
休むタイミングも不明で一ヶ月も付きっ切りだった叔母が自分はずっと心配でした。叔母は人付き合いも大切にしていて、その皆が心配していました。
自分からも何度も説得したのに、覚悟は決めてると。
母ちゃんの最期の希望は自宅で迎えたいだったのですが、皆猛反対で、そんなワガママを通してあげてくれて。
気遣いある優しい息子さんが、やっと帯広に連れ戻してくれました。
息子さんは、理由も聴かず困った場面で自分の頼み事を全部引き受けてくれました。頼まなくとも聴いてくれました。
親子しばらくゆっくりしてほしいですし、LINEの返信が遅れてくれた方が安心です。
ドラマはもっと色々と深く続いた数日でしたが、それらは後日面白く綴ろうかと。
カタチだけの喪主、失礼やドジだらけでしたが、怒られるどころか励まされてばかりで。
温かい会話が繰り広げられて、自分としても良い機会だったと思っています。
母のキョウダイ達がこれだけ助け合っていて、自分のキョウダイもしっかりしなくちゃって教訓も残りました。
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