タイミング

既に綴った記事とダブる内容なのですが、気になったもので書き残しておきます。
実家の荒れ具合は自分の想像以上だった様です。四月初旬に実家へ伺う予定だった叔母さん、諸事情で三月下旬に伺っていました。
二階建ての家は、何処も足の踏み場も無いような状況だったそうです。ほぼゴミ屋敷。

叔母さんが訪れる前にも福祉系の方がだいぶ片付けてくれていたそうです、それでもこの様な状態だったと。
ゴミ屋敷も色々とありそうなのですが、高く積み上がったゴミが低くなった程度だったのかなぁと。
自分も一人暮らしの無精で、床に色々転がっていたりですが、10分もあれば片付くレベルで。

母は自分の一時帰省を何年も拒んでいました。たかが数日の帰省予定だったのに。
「部屋が散らかっているから」との理由で、叔母さんが遊びに来るのも断っていたそうです。
その散らかり具合が想像を絶していました。これでは確かに人に来られちゃ困るだろうなぁと。
母は居間のソファーベッドで寝ているそうですが、他の人が寝れるスペースは何処にも残っていないそうです。
やはり、無理してでも昨年の六月に一時帰省すべきだったかと。
この冬は相当な雪が降ったそうですし、昨年のあの時期ならゴミ出し等も効率良かったかと。

昨日、叔母さんとの電話で聴いた話が上記の様な状況でした。
毎度、母の状況の話題が占める電話なのですが、時々脱線することも。
幼かった頃の母のことであったり。そして昨日はご先祖さんの話で盛り上がってしまいました。
母方の姓は所謂「珍名さん」で、Web検索しても国内には僅かしか存在しておらず。

インターネットが普及し始めた二十年ちょっと前から、自分はこの姓をWebで時々検索していました。
これが、以前に比べてヒットする情報が多く。
ご先祖さんは釧路方面で相当活躍していたとの伝説は聴いていたのですが、古い文献にも色々と記録が残っていました。
もっとも古い記録では1823年生まれの方も登場し。黒船来航が1853年ですし、幕末前のご先祖さんは勝海舟と同い年らしく。

その辺の情報は叔母さんも興味はあったそうで、記事のリンク先を電子メールで伝えたりでした。
大正時代の文献に残る人物は、叔母さんもお世話になったお爺さんだったそうです。特に明治の代は、相当な資産家だった様子です。
時間の許されるうちに、もう少し色々と調べておきたい本日でした。

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