高校時代、短期間でしたがブラスバンドに自分は入部していました。
しかし、拘束時間が長過ぎで辞めています。平日の遅い時刻まではまだ許せたのですが、休日も練習など自由な時間が無く。
雰囲気が良ければ何か違ったかも知れません。しかし、あの陰湿陰険なムードが肌に合わず、苦痛でしか無く。
夏休み前には退部していました。自分をどうしても入部させたかった部長はとても良い方で申し訳なかったのですが。
あれはマゾヒストでもなければ、続けられなかったかと。
そのブラスバンドでは市内でも有名だった音楽一家の同級生がいました。既に卒業した兄達も部員だったそうで、その一人は有名な音大の学生で。
同級生だった女の子はちょっと怖い雰囲気でした。実際たまに話しかけられても文句や嫌味めいたものばかりで。
少しは相手を喜ばせる言葉が出てこないのかと。ただ、演奏だけはとても上手でした。
この高校のブラスバンドに入りたかったそうで、普通科ではなく商科に入ったそうで。
音大に通うお兄さんが時々やってきて、部員に指導するのですが、これが何故かまた自分に対しては妙に厳しく。
指導内容も楽しめる内容ではなく、この一家はどうなっているのだ?と。
ブラスバンドを去った自分は、夏休みからアルバイトに明け暮れていました。冗談の効く大人達や同世代達が面白く、それでいてお金も稼げて。
あの部活よりは余程有意義でした。
翌年の春、市民でベートーベンの第九を歌う企画が始まり、自分は何となく参加。
こんなの歌える機会は今後無さそうでした。
自分の高校から参加したのは当初自分一人だけでした。しかし、クラシックに興味ありそうな友人二人を誘い出し、三人体制に。
周りは親の世代な方だらけだったものの、皆さん文化人。
少数派の自分達にはとても優しくしてくれて。
市民ホールな会場で週に一度の練習、少し早めに伺って、大ステージの高価なピアノを勝手に弾かせてもらったり、ラッパを吹いてホールの響きの良さを楽しんだり。
スタインウェイのコンサートピアノを弾かせて貰える機会なんて、その後一度も無く。
そんな練習日、謎の夫婦に声を掛けられました。
「君が〇〇君かい?」。その通りなので「ハイ」と答えました。
どちら様なのか聴いてみたところ、何故か答えてくれず。
僅かな会話でしたが、何だか見下された様な対応が不思議でした。
その後の市民報であの夫婦の記事が。例の音楽一家の親でした。
クリスチャンでもあったそうで、お婆さんとの行き違いな記事が綴られていました。
綺麗にしていた水洗トイレの床が濡れていたそうです。それも頻繁に。
家族はお婆さんを疑い、その都度注意したそうです。お婆さんは毎度申し訳なさそうに謝っていたそうで。
しかし、そのお婆さんが亡くなった後も、トイレの床が濡れる症状は変わらず。
全く別の原因だったと、懺悔なオチでした。
あれでは家庭内も嫌な雰囲気だったのかなぁと。
自分からすると、自分の知るあの家族全員がつまらない奴で。
お婆さんから何か学んだのなら、あんな接し方は無いだろうにと。それも、いい大人が。
同期だった娘さんは自分に文句を言ってきても、聴き取り難い発音で、何度か聴き返したことが。
顎周りが少し岩崎宏美さんに似た受口でした。後から知ったのですが、受口の人は一部の発音が難しいらしく。
自分はそれを馬鹿にしたことなど無かったのですが。
当時の我が家は裕福と程遠い生活だったものの、家族で大笑い出来る場面は少なくなく、まだうちの方が幸せかもなぁと。
自分の場合は、周りの家族が羨ましいと思える場面の方が多かったくらいなのに。
だいたい、クリスチャンだったら「隣人を愛せ」だろうに。それが出来ないから、そんな言葉が目標になってしまうのだか。(勿論、ちゃんと出来ているクリスチャンの方が多数だとは思います)
ヒッチコックのサスペンスに登場する教会の神父さんは、ちょっと怖い扱いでした。
現実はあんな感じなのかな?
謎。
コメント
誰のことなのか、まったく想像つかない。
音楽一家の女子なんてのがいたなんて、全然知らなかったわー。
音楽以外では目立たない普通の女性だったと思います。特に商科は女性だらけでしたし。
楽器が醸し出す音色は素晴らしかったんですけれどネ。