ベールに包まれていた二郎

昨夜、ラーメン二郎の創業者である山田拓美さんのドキュメンタリーが放映されました。
メディアの取材をほとんど拒否してきた山田さん、テレビ放映の噂は暫く前にTwitterで知っていたのですが、関係者の証言程度で終わるものかと大した期待はしていませんでした。
しかし、それは全くの見当違いで、ホンモノのドキュメンタリーでした。
あの番組の放映までには、スタッフの努力も相当なものだったと思います。
しかし、何故か深夜枠の関東圏のみの放映。ラーメン二郎は既に関西から北海道まで展開していますし、関東圏以外でも観たい人は少なくなかったろうなぁと。
何より、他のラーメンとコンセプトというか作りが全く異なるラーメンだと自分は思っていますし、異端児の誕生から成功までの流れを創業者本人が語る僅かなチャンスは貴重でして。

自分がラーメン二郎を初めて頂いたのは二十年近く前。三田本店でした。
大食いの自分、普通の感覚で「大豚、全部マシ」を注文したところ、目の前に現れた丼に度肝を抜かれました。
柔道の組手で、握った瞬間に負けたと思える感覚で。
実際、半分ちょっと食べた時点で撃沈しまして。量も凄かったのですが、味がまた独特で。
二度目に伺った際は「小のにんにく」でしたが、これも完食ならずでした。(迷惑行為ですし、非常に恥でもあり)
自分には合わないラーメンと片付けました。

その後に引越し先から近かった神田神保町店を知り、何の期待も無く頂いたところ、これがとても美味しく。
量は三田本店よりも多いくらいだったのですが、最後まで美味しく頂けてしまい。
それからはドツボです。多い時は週に四杯頂いていました。
ただ、入店待ちの行列は毎度長く、一時間半の待ちなど当たり前で。
あれだけ繁盛していた店舗でしたので、自分のことなど覚えちゃくれないだろうと思ったのですが、これも数回伺った時点で自分のトッピングを店主は覚えていてくれて。
頭の良い店主だなぁと。

店主も助手さんも小型の単車で通勤していました。当時の自分は古いVespaに乗っていて、冗談も飛ばせる間柄になってから、助手さんの希望でVespaの鍵をお貸ししたりも。

その後は仕事の出先で、様々な二郎の店舗にも寄らせて頂きました。
店舗によって、けっこう味が違うものだなぁと。出先に同行してくれた女性社員とも一緒に頂いたり。
そして、久し振りに頂いた三田本店の味も、やっとちゃんと味わえたりで。これがオリジナルなのでしょうけれど、やはり癖が強かったんだなぁと。

昨夜のドキュメンタリーは、何となく作った構成では無かったです。山田さんの本音も随所に表れていました。
例えばインスパイア系というか亜流店への思いについても。
繁盛してから暖簾分けに至る話は初めて聴けましたし。

ここに至る前の経緯は、昭和の終わり頃の慶大生のインタビュー記事で存じていました。
学生さんはその後に立派なホテルの支配人になり、ホテルのホームページの片隅に、その記事をちゃっかり載せていたり。
コロナ禍の影響もあってか、残念ながらその立派なホテルは数年前に閉業しています。
あのインタビューは優秀な学生さん(齊藤滋久氏)だったから聴き出せて文字起しも出来た部分はあるんだろうなぁと思っていました。
しかし、二つの元号を跨いで更に歳を重ねた昨夜の山田さんの言葉を聴くと、山田さん本人も相当頭の良い人だと思いました。
優秀な学生さん達の言葉に耳を傾けられる人柄が無ければ、美味しいラーメンを提供出来ても、こうはならなかったんだろうなぁと。

ホテルは無くなり、記事も読めなくなったのですが、インターネットアーカイブ上では閲覧可能なので、ラーメン二郎が好きでしたら一読の価値はありそうです。
ちょっと長い記事ですが、平凡な口語体で一気に読めます。実に味わい深く。
二郎インタビュー

昨夜は寝ている間の録画だけのつもりだったものの、結局ビデオを経由する前に観てしまいまして。
Twitterでの反響も大きかったです。あれだけ反論の少ないTweetも珍しい感です。
丁寧なドキュメンタリー製作と、記録を残すまでのスタッフの努力に感謝します。

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