如何わしいタイトルですが、化学が発達していなかった時代はかなり真面目に取り組まれた分野だそうです。
先日の硫酸事件で、硫酸とは何ぞやと色々と検索してきた途中で出てきた単語の一つが錬金術でした。
自分も化学分析装置の技術屋を過去に経験していて、硫酸を扱っていましたが深く考える機会はほとんど無く。
硫酸より怖い劇薬系も実際に少なくなかったですし、扱う際は白衣とゴーグルとゴム手袋は必須でした。特にメタンスルホン酸は僅かな量でも服に穴を開けてしまうので怖かったです。
この手の薬品は単体でも怖いのですけれど、何かと混ぜたりするのも恐ろしかったり。
化学式で対象を作成するのは卓上理論なのですが、手順を誤ると猛烈な熱を出したり、下手すると爆発します。
実際、お客さんだった某大学の実験室でも学生が爆発させてしまい指を数本失っていて。
基礎からしっかり学んでいれば避けられた事故かも知れません。自分は化学ではなく物理系の人間なのでその辺の知識や経験が薄く、初めて調製するときは経験者に必ず確認してから作業していました。未知や無知の怖さは知っているので。
今から思うとですが、当時(昭和の終わり頃)の大学の化学系な実験室は室内の金属が錆びまくっていました。特に電源のコンセント周りはプラスチックも含めてボロボロになりがちで。あれも酸の雰囲気が濃い中で喚起が不十分だったからかなぁと。
話を戻します。
錬金術は現代の科学で不可能に近い分野です。原子を置き換える理屈くらいしか無いので。
核融合が核分裂でしか生成できないハズで。ただ、実際に理論上は可能だそうです。隣の原子の水銀を核反応させれば金の生成は可能だそうですが、相当なエネルギーが必要らしくコストに合わないそうです。
まぁ、これも技術革新で将来的にはどうなるか分かりません。
しかし、現代の化学で基本となる技術の多くは錬金術の歴史から生まれた副産物らしく。硫酸もそうです。
硫酸は工業分野で多様されています。庶民が直接触れない部分で大活躍しています。
衣類はおろか、食品分野にまでです。何だか怖い硫酸ですが、用途を間違えなければ非常に有用で。
あと、金についてはちょっと気になる部分がありました。
恐ろしく古い紀元前の遺跡からも装飾品としての金が出土していて。下手すると青銅器より前の時代なのカモで。鉄器の普及はずっと後で。
武器や農具としての性能は青銅器より鉄器の方が優れているのですが、鉄器の普及が遅れたのは金属の融点の違いにありまして。
・鉄(1536)
・銅(1084.5)
・金(1064.43)
・水銀(-38.842)
金属の融点は上記の括弧内の順です。昔の体温計で使われていた水銀も氷点下40℃では固体になるそうで。
鉄の融点は1500℃を超えていて、大昔は簡単に作れない領域だったかと。ただ炭といった炭素を混ぜると融点は1200℃辺りまで下がるものの、それでも銅の融点よりは高く。
話が飛ぶのですが、高校に入学したばかりの頃、社会科の授業で同様の質問を教師から受けたことがあります。何故青銅器が鉄より先に普及したのか。具体的な温度までは知りませんでしたが、ボソッと「融点が低いから」と答えたところ、強面の教師は大喜びしていました。
何でも、毎年最初の授業で新入生にこの質問をしているものの、数年に一度しか正解が出てこないそうで。その後に北大の理Ⅰに進んだクラスメイトも知らなかったそうで、「どうして知っているの?」と驚いていました。
ただ、残念なことに自分は丸暗記科目が苦手で、社会の先生の期待にはその後全く応えられなかったです。
金は融点が低いから金塊にしやすかったのだと思います。更に最も酸化しにくい金属なので、米粒大でも金だと肉眼で判りやすく。他の鉄や銅は自然界で不純物だらけだそうで。
また、純金はかなり柔らかいそうです。触ったことが無いので自分もイメージ沸きませんが、装飾品としては加工しやすいんだろうなぁと。ただ、やはりある程度他の金属が混じっていないと装飾品としても柔らかすぎるそう。
そんなこんなの特性があったので、紀元前から金は珍重されていたそうです。
あと、軽く検索して分からなかったなのですが、所謂四大文明系以外でも金は大昔から宝物だったそうで、何処かの文化が発祥で流れ着いたのかと思っていたのですが、そういった類では無さそうで同時多発的に各地域で生まれたのかな?(ちゃんと調べるべきなのですが)
大昔の日本の歴史では畑から出土した金印が有名です。どうやら中国から一世紀頃に頂けたらしく。その後も日本では金の産出は見込まれなかったものの、奈良の大仏(東大寺)の建立時に状況が一変したそうです。東北地方で朝鮮系の方?が見つけ出したそうで。
この時代まで文化や技術は海外の方が進んでいたのでしょうね。
上記の文章、前半までは午前中に綴って昼寝してしまい、途中は午後からでした。
このマンションに引っ越してからもう少しで七年目に入ろうとしています。夏は毎年ヒマワリを庭で育てていました。
先ほどコンビニへ買い物に出掛けようと庭に出たところ、向かいのアパートのお婆ちゃんが「今年もヒマワリありがとうねぇ」とベランダから挨拶。
毎年のことなのですが、数本育てたヒマワリは同時に咲いてくれなくて、タイムラグが一ヶ月近くあったりです。今シーズンも同じくで、最後の二本がようやく咲き始めるところで。
金も美しいですが、季節を感じさせるヒマワリも美しく、歩道を歩く方々もちょっと和んでいる様子で。
数日しか綺麗に咲いていられない儚い存在、それがまた美しく。
錬金術は無理にしても、ヒマワリなら誰でも育てられます。
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