昨日のこと、フェリーニの作品「道」がBSで放映されていました。
念のため、録画も。
民放の映画放映ですとCMがやたらと多く、これは小便に行くのに好都合だったりするのですが、某国営放送の場合はそうも行かず。
なので、自分は映画館で作品を観るよりも、自宅でビデオのリモコン片手の方が好きだったりです。
昔に比べればテレビの画面サイズも十分に大きいですし、古い白黒映画など小さい画面で観る方が雰囲気あったりで。

この作品についても、高校時代に観ていました。
実家の家族と一緒に観た気がするのですが、自分は途中参加だったような。
どうにもテーマ曲のフレーズが単純過ぎて、大衆向けな作品なのかと見下しつつ。
漫画か何かを読みながら場面々々をつまみ食いする様な観方だったのかも知れません。

あのふざけた旅芸人が嫌いでした。こういった人をコケにする様な奴は実存するワケで。
何が楽しくて、人を馬鹿にするのか分かりません。一生懸命やっている人を馬鹿にするなんて。
そして、この野蛮な主人公も人間に生まれてきたのが間違いな奴というか。自分の感情や考えや欲望を優先して、力でねじ伏せる生き方は当時の養父に似ていて。
否、主人公はこのオツムの弱い表情豊かな女性だったのかな。白痴美という言葉があるのですが、まぁ白痴の時点で放送禁止用語なのでここに綴っている文章でも日本語変換が出来ませんでした。
本来の白痴美は無表情がルーツらしいのですが、表情豊かなのもあるじゃないかと思っていたりです。
紳士淑女を気取るなら、そこで表情さえも出すべきじゃ無いのにというか。正直なリアクションというか。

今回改めて最初から観た感想は、色々と考えさせられたというか、観方が変わったというか。
あのふざけた奴はやり過ぎというか、おちょくり過ぎというか。しかし、弱い者には徹底的に優しく。だから威張り散らす野獣の様な奴を許せなかったのかな?とも。
立場が弱くなったザンパノが捕らえられた警察へ彼の愛車を届けたり、道に迷うジェルソミーナに生き残る道や存在価値を伝えたり。
ザンパノについては、恵まれた肉体を売りにするしかない人生。欲望の赴くがままで最後まで孤独な奴。
ジェルソミーナについては、見た目もけしてブスでは無いと思えてしまい。勉強とかが出来なくとも、天性の素質があるかと。
現代の教育社会で無ければ、十分にやっていけたかと思えて。
思い出してしまったのは過去の記事にも綴ってしまった「伊勢崎市同居女性餓死事件」です。

小学生の頃にテキトーに教わった道徳の授業は性善説が主体でした。理系の大学の教養で選択した社会学は「こんな学問でどうやって稼ぐの?」と思える変態分野でもあり。
実利に乏しいというよりも、そこに辿り着くまで何段階もの変換が必要というか。風が吹けば桶屋が儲かるに近く。
どんな組織に立つにしても、何か欠けている人とか純粋なままの人とかが世の中多い印象です。ずば抜けた才能もあったりで。
ジェルソミーナについては誰しも優しい手を差し伸べる何かがあって。敗戦国時代だったイタリアの貧しい庶民達も、放っておけない存在で。
街のおばさんからはスープを頂けたり、子供達からも、サーカス団員からも、修道士からも慕われて。僅かな時間の共有でしかなかったのに。
これは、現代の日本の方が余程貧しい精神性かもと思えたりです。親からは「関わるな」と教えられるでしょうし。
幸いにも自分の幼少期は、見捨てない風潮が世の中にまだ僅かに残っていました。有史以前から続いていた大切な。
庶民の多くは助け合いとか優しさを忘れておらず。

世の中、定価から何割引きみたいな世界が続いています。
当時のイタリアの最下層は芸や仕事に対しての対価が全てだった様子です。ある面、この方が公平で客観的かも知れないなぁと。
日本ではチップの概念が無いですが、無名の旅芸人はサーカスに参加する報酬が無く、観客からのチップだけが頼りという場面も。
資本主義からも社会主義とか共産主義からも取り残された人。そんな概念の無かった時代に生まれていたら、案外上手くやっていけたのかなぁとも。

山田洋次監督も、この作品に影響を受けたんだろうなぁと思えたりです。
ある面で旅芸人な「男はつらいよ」一作目のエンディングも、海辺で茣蓙を抱えた「道」のオープニングに似ていて。
そして、モノクロの作品に登場する海とか衣装とか、カラーだったらどんな彩りだったのかな?と。
あのふざけた奴の「僕は無学だけど、少しは本を読んだ」って台詞も素敵でした。
そんなザンパノも、終盤では崩れたジェルソミーナに帰郷を勧めたり。置き去りにしたジェルソミーナの枕元に愛用のラッパを残したり。

コメント

  1. ルノワールS藤 より:

    フェリーニ作品、どれも好きです。
    「道」も好きすぎて、10代のころ参加していた同人誌でのペンネームをジェルソミーナにしていたほど。
    無骨なザンパノと頭の弱いジェルソミーナの二人では、感情のロジックが全然出てこないわけで、じつはこの作品の真理を言語化する役割を果たしているのはリチャード・ベイスハート演じる、調子の良い綱渡り芸人なのですね。
    彼の発する言葉が「神の声」なんです。だから背中に翼がある。
    フェリーニを話し始めたら止まらなくなるので、この辺で。

    • SUKIYAKI より:

      大学時代に旧作ばかり上映する映画館でフェリーニのアマルコンドの予告編を観て、本編もいつか観たいなぁと。スクリーンに映る大きな船の夜景が幻想的で。
      道もフェリーニの作品だと知ったのはずっと後でした。
      調子の良い芸人、本人も短命だと語っていて。リスキーな持ち芸以上に怒らしてはいけないザンパノの営業妨害までしてしまい。
      チャップリンが監督をしていたら、どんな撮り方するんだろうなぁと。

      男はつらいよにもオツムの弱いマドンナが出演したのがあったなぁと思い出し、しばらく前に録画したのを今夜観てしまい。これも良かったよ。
      三十年前に観たテレビ放映だと、もっと危ない台詞があった筈なんだけど、最近の放映ではカットされちゃったのかな。
      タコ社長が現実的な心配を放送禁止用語で語っていたような。