幸せの黄色いハンカチ

あの映画が自分は大好きです。
結末を知っていても、何度観ても泣ける作品で。
その原作者が他界されたとのニュース記事を昨夜見掛けました。

そういえば、夕張の記念館に一度行ったよなぁと。
舞台になった炭鉱住宅が残されていて、そこがちょっとした記念館になっていて。

当時の自分は東京から北海道の実家に戻ったばかりでした。
東京での自分は大手企業に入社し、ソコソコの立場まで行けたものの、ストレスで身体を壊しかけて退職。
慢性的な胃潰瘍と十二指腸潰瘍になりかけていて、環境を変える必要がありました。
あの痛みは何もかもやる気を失わせてしまい、そんなのに一生付き合ってなどいられず。

当時の実家は養父が単身赴任で東京に出ており、母は一人暮らし。
その母も更年期障害で相当荒れていたそうで。
冬が近付く十月の北海道に自分は戻りました。
貯めていたお金も車もあったので、一年は何もしないつもりの帰省でした。

実家に戻ると世間の不景気もあり、かつての街は随分と寂しくなった雰囲気。
母の荒れ具合は確かに相当なもので、これはこれでストレスになってしまい。
ともかく、母を連れてドライブに出掛けたものでした。気分転換にならんものかなぁと。

しかし、これが何処へ行っても何だか不満の様子。
夕張の炭鉱住宅へ訪れた際も、文句ばかり言われてしまい。
母は当時、幸せの黄色いハンカチを観たことがなかったらしく。
まぁ、作品を知らずに訪れても、有難みは何もないだろうなぁと。
景気の悪い北海道で、最も景気の悪い土地へ連れてこられただけでしか無かった様子です。

その冬はやたらと寂しい冬でもありました。地元に残る友人は少なく、僅かに残る友人も社会でしっかり活躍している学校教師とか、自分と同じく落ちぶれてしまった奴とか。
翌年の一月、生まれて初めての海外旅行を経験し、ちょっと視野が広がったり。
合衆国の四都市をレンタカーや飛行機で数週間掛けて周る旅、一人旅ではありましたが、何か自信がつきました。

春頃には養父も単身赴任から戻り、家に男は一人で十分だろうと自分も近くに部屋を借りて。
その頃には母の荒れも少しは落ち着いていた様子でした。
まぁ数ヶ月でも帰ってきた意味はあったかと。雪かきも十分手伝いましたし。あのまま一人にしておいたら、どうなったことやら。
その後の自分は無事に再就職も出来たりで、更にその後は転職続きで東京に戻りましたが、まぁ身体を壊すことも無く無事に暮らしています。

母とは時々電子メールでやり取りをしています。
既に八十代の母ですが、自分の帰省時にパソコンの使い方も伝授していて。
母の能力にちょっと驚いたりもしました。女学生時代にタイプライターを習っていたそうで、パソコンのキーボード入力についてはほぼ最初からブラインドタッチでした。
下手な若造よりも、入力は余程早く正確でした。

そんな時々のやり取りの中、しばらく前のこと夕張のドライブな話題になり。
なんでも、その後にあの作品を観たらしく、もう一度行ってみたいと。
とっくに忘れられていたと思っていました。二十年も前の出来事でしたし。

そういえば、あの作品に登場した武田鉄矢さんも桃井かおりさんも、役の上では都会の生活から脱出した旅路の二人だったんだよなぁと。
作品に登場した倍賞千恵子さんも渥美清さんも、現在の最寄りの駅に銅像が建っています。まぁ妙な縁です。

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