武漢の邦人救出劇

ニュースソースが共同通信なので、事実か否かよく分かりませんが、ちと気になる記事を見掛けました。
新型コロナで武漢が封鎖された際の邦人救出劇な話題でした。
過去に日本の大学院でお世話になった中国人が、空港までのバスを手配してくれたそうです。
この救出劇、飛行機は日本政府が手配した記憶ですが、封鎖された街でどうやって空港まで邦人を送り届けるのか気になっていて。
ちょっとした美談だと思いたいところです。

過去の仕事であんなこともあったなぁと。
分析装置のサービスマンをしていた頃の話です。訪問先は民間や公共機関や研究所。
名の通った研究所に伺う場面も多かったのですが、日本の頭脳を集めた様な場所ではちょっと気になる出来事に遭遇したりでした。
修理で伺った某研究所もその分野では国内で先端技術を誇っていました。古い建物の小さな研究室はメンテナンスを怠った分析装置が並び。
装置の担当者は中国人の留学生。三十代前半くらいの男性でした。
ともかく分析が上手く出来ないらしく、最低限の費用で修理してほしいと。
日本語は流暢でないものの、十分に意思疎通の出来るレベルでした。

装置の修理は半日ほど掛かり、普通に使う分には問題無いレベルに仕上がり。
動作確認には一時間以上掛かり、その間に留学生と世間話を。
中国からやってきたそうで、奥さんと一緒に暮らしている等々。きっと学業は優秀な人なんだろうなぁと。
しかし、任されたこの装置の使い方をロクに教わっていないそうです。時々様子見に来ていた上司らしき人は、この留学生に対して奴隷の様な態度。
本来はこの上司がちゃんと引継ぎすべきなのになぁと。

下手な使い方をすると高額な消耗品も一撃で壊してしまう分析装置でしたし、何だか気の毒だったので後日無償でトレーニングしてあげることに。
溜まっていたらしい検体もその後一気に片付いたそうでした。
要領の良い留学生だったと思います。その後に変な修理依頼も少なく。

半年に一度くらいのペースでその研究室に伺う機会はありました。
しかし、例の意地悪な上司の姿を見掛けなくなり。どうしたのかな?と。
翌年の訪問時にはまた上司の姿を見掛け、どういうことなのか留学生に聴いてみました。
何でも、実績が残せなかったそうで任期の延長無くクビ。しかし、次の仕事が見つからず、所長の計らいでパートの事務職として雇ってもらえたそうで。
立場が逆転した様子でした。

留学生はその間もしっかりしたデータを取れたり、実績も残せていた様子。第一に英語は日本語より達者だそうで、国外での発表も得意そうで。
後から知ったのですが、競争率の高い研究所では人種を問わずに妨害や嫌がらせがあったりするそうで。
恐ろしい世界だ。

更に数年後、研究所の老朽化に伴う移転がありました。
この作業も自分が担当したのですが、留学生の立場はかなり良くないっている様子でした。
ただ、残念なことに移転先は自分の会社がサポート出来ない他県でした。
他県の新しい研究施設で装置の設置と動作確認までが自分の最後の仕事となり。
留学生は「今後とも宜しくお願いします」とのことでしたが、もうサポート出来ない旨を伝えると涙ぐんでいました。それをやってしまうと他社の畑荒らしになってしまい。
「いよいよどうにもならない場面があったら、メール対応くらいなら大丈夫だから」と。
実質、それがお別れの場面になってしまいました。

仕事が比較的空いていた時期だったのもあって、無償で助けてあげられた感です。それと、自分も海外の仕事で現地の方々に助けられた場面が幾度もあって。
ともかく、日本人がみんなこんな冷たい奴ばかりじゃないと思ってほしく。
例の意地悪な上司のことをどう思うか聴いてみたところ「可哀想」と一言。
自分からしたら「ざまあみろ」ですよと笑ってしまったり。あれは日本の恥くらいに思えてしまい。
当時は「消えた博士」というのが話題にもなっていて、あれはその中の一人なんだろうなぁと。

隣国でも国毎の政策に大きな違和感を覚えたりする場面は多いのですが、人についてはやはり別だと思っています。
義務教育のうちに反日主義を叩きこまれる文化もあったりするそうですが、国際感覚を持った学生は柔軟な方が多く。個人的にそういった方に悪い思いを抱いたことは無く。
あの留学生、このコロナ禍で今頃何処でどうしているんだろう。

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