既に日付は変わりましたが、本日のこと庭の桃がやっと開花。
柴又公園の桜も五分咲きとなったので、桜と桃はほとんど同じ時期の開花の様子です。
半分枯れてしまった桃の木ですが、横から伸びた枝は一本だけ順調に成長しています。
今年で既に四年目になる木でもあります。しかし、この成長具合ですと果実は途中でまた枯れてしまうだろうなぁと(親指の大きさ辺りで例年落下)。ほんと、ギリギリ生きている状況でして、果実にまでは栄養を供給出来ないのかな。
しばらく前に何かのバラエティ番組で放映された場面がちと気になりました。
「人は何故歳を取ると花を愛するようになるのか?」と。女性は元々花が好きな印象ですけれど、オッサンになってから花が気になるのは自分も不思議に思います。
番組では話題だけ振っておいて、その理由の説明は一切無し。自分で検索するのも面倒で、間違っているかも知れませんが自己主張を。
誰でも子供の頃に何かの栽培をしたと思うんです。幼稚園の頃は芋掘りとかやって、土に親しんだり。自分はプライベートでも土で遊ぶのが好きでした。
改めて土に触れると懐かしさとかありますよね?何処かで触れたなぁとか臭いとか。(うろ覚えですが、昔のNHKのアナウンサーだった鈴木健二さんの著書「気くばりのすすめ」でも、久し振りに素足で土の上に立ったときの感覚が綴られていました)
あと、記憶に刻まれた場面で満開の花は色々とあると思うんです。自分はありきたりな向日葵であったり、チューリップであったり、ラベンダーであったり、桜とかも。
そして、一番思うのが季節感への哀愁というか。この季節に見掛けるこの季節らしい花というか。また春が来たなぁと。
人も含めた動物というのは一方通行で歳を重ねてしまい、人生の華の時期というのは今思うと実に短く。若い頃が毎日咲く花だったとしても、それは十年あるか無いかかと。
これが毎年咲いてくれる花だったらなぁと。
あと、自分は物理系で電気系の仕事を続けてきたのが理由の一つだったかも知れません。何を作るにしても修理するにしても、人の手が必要な分野で。
それが、植物というのは人が少し手を貸してあげるだけで勝手に育ってくれて。勿論、良い条件もありますが。
昨年咲いた後に放置していたチューリップの鉢から、また芽が出てきたのには驚いたりでしたし、雑草の捨て場に放り込んだ彼岸花の球根からまた花が咲いたのにも驚いたりで。
機械とか電気の世界でこんなことはあり得ませんし、その生命力に驚いたりで。
と、如何にも年寄り臭いことを綴ってしまいました。
古くからの友人は自分が園芸オジサンになってしまったことに驚いていたりでした。
実際のところ、どんな理由でそうなってしまうものなのかな。
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