2000年の春頃に仕事で訪れたオランダ。ビザ無しで滞在できる三ヶ月間、現地で人種差別はほとんどありませんでした。
しかし、全く無かったワケでは無く。
現地に辿り着いてから数日は時差ボケで、自分の容姿も自覚出来るほどボケていました。何だか昔から顔に出やすく。
三ヵ月の間、多くの期間を過ごした宿は仕事関連の経営者一族が営むペンション。
状況説明で、しばし脱線。
自分の滞在先はオランダ南部の田舎町ではありましたが、仕事で扱う製品はITバブルの恩恵でその会社は恐ろしく株価が上がったそうで。
まだ開発途上の製品は将来の夢が詰まっていたものの、不具合も多く利益も出していなかったかと。それよりも、しばらく前まで会社は社員に給料を払うのも大変だったそうで、自社株を給料替わりにしていた時期もあったっそうです。
結果的に二桁以上の株価上昇で、一部の社員は短期間で生涯年収以上の利益を売却し、会社を離れたとか。
そのペンションには観光客向けの小さなレストランがあったり、そこには日本製のグランドピアノが置かれていたり。
ピカピカのピアノは真鍮の部品もまだ金属の光沢を保っていたので、そんなに昔からあったワケでは無さそうで。
滞在二日目の夜だったかに、そのレストランでハイネケンを傾けていたところ、デンマークから訪れた老夫婦とお話をすることに。老夫婦は持株の相談で訪れていたらしく。
自分の英語はたどたどしい片言レベル。相手もそれに合わせてくれたのですが、酔っぱらったお爺さんは嬉しそうな顔をして言いました。
「君は中国人じゃないのか?」
まぁ、見た目は自分でも日本人なのか中国人なのか判別つきません。しかし、日本人ですし、「日本人です」と答えました。
しかし、何度も何度も同じ質問を繰り返してきます。まぁ酔っ払ったお年寄りだし、これ以上反論しても無駄だなと諦めました。
どうにも東洋人というだけで、差別の対象になる様子。もし、自分が中国人だったとしたら、どう振舞ったのか考えてしまったり。
ただ、東洋人の中でも日本人は別格の印象でもありました。仕事上でも日本の技術やブランドや信頼性は一目置かれていましたし、現地のテレビでも日本企業のCMは頻繁に流れていましたし、アニメも人気でした。
当時の中国は、まだ経済力も足りず。どんな小さな田舎町でも教会と中華料理屋はあったりでした。中華料理屋には日本食もあったりでしたが、そこで働く方々は華僑の中国人。
そこで見掛けた店員さんと街角で出逢うと「おぉ、アジアンフレンド!」と笑顔で手を振り合ったり。だいたい、お互い何故にこんな離れた場所に居るのだか奇跡に近く。
自分からしたら、東洋人仲間の意識が強く、経済格差や文化の違いなどどうでも良く。
そのピアノは滞在初日から弾かせて頂いてもいたんです。
どんな音色なんだろう?と、触って良いですか?と。
ショパンのエチュードを弾いてみたものの、数年ぶりの演奏で八小節まで持たずにとん挫。
しかし、続きのフレーズはウエートレスの女性がニコニコ顔でハミングしてくれたり。
妙に繋がった嬉しさがありました。
現地では遊び道具が会社の用意してくれたレンタカーくらいしかなく、そのピアノを玩具替わりにして貰えました。
しかし、どの曲も途中までしか弾けず。少し先のフレーズまで取り戻す日々。
帰国が近付いた頃、やっと一区切りまで弾けたショパンに、オーナーさんも喜んでくれたり。
初老のオーナーさんは地元のちょっとしたミュージシャンでもありました。自分の仕事面など何も知らなかったと思いますが、趣味や興味で通じ合う部分は多々ありました。
日本人は皆ピアノが弾けるのか?とか、オランダの印象がその通り風車とチューリップなのはオランダ人も知っているとか。
話題が逸れまくっていますが、伝えたかったことの一つは「自分が出逢ったデンマーク人は生涯この夫婦だけなものの、残念なことに印象悪く。あなた、自分の国の代表だという意識を少しは持てないの?」と。
(まだ書きかけですが、一時的に公開)
(以下は続き)
上記を綴ってから数時間経ってしまい、綴る勢いが衰えてしまい。
まぁ何と申しますか、人前で披露できる趣味があるというのは、時々とても役立っていたなぁと。文化人だと理解されると一気に打ち解けられたりで。
自分がオランダへ訪問した期間はサッカーのユーロ2000が開幕中で、毎晩凄い盛り上がりでしたので、サッカーの知識があったらもっと沢山の人と親しくなれたんだろうなぁとか。
特に、サッカーについては多くの国で話題になっていて、一種の共通言語でもありました。ボール一つで遊べるスポーツ、国力と関係無かったりでカメルーンでも話題になったり。
こんな思い出もあるので、海外に出る前はピアノの練習をしておくべきなんだよなぁと毎度思ってはいるんです。
鍵盤楽器の練習はずっと怠っていて、たまに弾く度にその劣化度に嫌になります。
理想は、行きつけのカフェのピアノを伴奏して仲間達と唄い合うような場面なのですけれど。映画の「トップガン」とか「愛と青春の旅立ち」でもあったような。
「ブレードランナー」でもひっそりピアノを弾く場面が印象的だったり。
話を戻さねば。
そのオランダの宿のオーナーさんとは、時々一緒に呑む機会も。
「日本の生活はどんな感じ?」との質問で、ノートパソコンから「これが我が家と友人です」と写真を引っ張り出すと、オーナーは叫びました「モンドリアン!」(が、どうしてここに?)。
ロッキーが「エイドリアン!」と叫ぶのにも劣らず。
その前年にマンハッタンのMOMAで入手したポスター、お気に入りだったので額に入れて飾っていたんです。そういえば、ゴッホもモンドリアンもオランダにゆかりあったなぁと。
オーナーさんの名前はアドリアさん。エイドリアンとスペルはほとんど同じだったかな。
そして、お世話になった会社については、その二年後くらいに倒産しています。ITバブルが弾けたそうで。
あのデンマークの老夫妻、どうなっちまったのかなぁと思い出したり。福祉国家だったとも聴いているので、大丈夫だろうとは思いますが。
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