知的障害者福祉施設で四年前にあった事件のニュースが連日報道されています。裁判が始まったらしく。
色々と考えさせられてしまった事件でした。過去に知的障害者の方と接して、その介護の大変さも自分なりに理解しています。
子供の頃の自分は庶民向けな新興住宅地で暮らしていました。当時は自分の生活圏でも知的障害者の方も身の回りで見掛ける機会がソコソコありました。
幼稚園まで普通に一緒に遊んでいた仲良しが小学校に進んで間もなく観掛けなくなったり。後から知ったのですが、学習障害か何かで勉強に全く着いて行けず特殊学級に転校したそうです。
当時の自分は成績表や通知表の意味も分かっておらず。なので、友人は人さらいにでも遭ったのかと思ったりでした。
勉強の出来などより、仲良く楽しく遊べるかが大切で。
二人目の知的障害者は養父の転勤で引越し先で知りました。
養父は怖いもの知らずで気の合わない相手であれば上司であっても平気で喧嘩してしまう性質でした。そんな中、いつも温和で面倒見の良いTさんという上司には公私共にお世話になっていたようです。
Tさんはみすぼらしい官舎住まいの我が家にもよく遊びに来ていました。Tさんは立派な持ち家で暮らしていたのに、自分の家族のことを羨ましがっていました。
「みんな勉強も出来るし、何よりみんな健康で羨ましい」と。
Tさんは自分達家族の引越し当初から色々と面倒を観てくれていました。北海道という慣れない気候や文化な土地で、とても頼りになる存在で。
引越しから一年程経ったある日、Tさんのご自宅に初めてお呼ばれした養父は酔っ払って帰宅したのですが、酒は入っていつつも冷静な表情で漏らしました。
「Tさんの家、立派だったんだよ。だけど、それまで話にも聴いていなかった娘さんが二人いて。上の子は居間を四つん這いで廻っていたんだよ。言葉も喋れないし時々うなったりするんだけど、意思の疎通が出来ないみたいなんだよ。もう成人を迎える歳だから、身体は女になっているんだけど、常に誰かが傍に居てあげないといけないから、看護師の奥さんと予定を組んでいるんだけど、時々時間を守れなくなると奥さんと喧嘩になってばかりで」。
養父は返答の言葉にも迷い、ただただ話を聴いたり目の前の現実を観るしか無かった様です。
「下の子は地元の高校に進学したんだけど、こんな家族が嫌いで何度も家出してて。だからお前の家が羨ましいんだよ」。
貧乏でも家族皆健康で、夕食も一緒に頂けて、ちゃんと学校に通えている我が家は案外幸せなのかなと思えたりでした。自力で生きていける幸せも感じたり。
三人目の知的障害者は高校一年のアルバイト先ででした。
総合結婚式場のボーイを自分はしていました。冬が近付くと忘年会の席も多いアルバイト先でした。
期末試験の期間中に、地元の福祉番組の取材がアルバイト先でありました。番組の進行は著名な芸能人で自分は一度でも会ってみたかったので、その日にアルバイトの予定を入れました。市内の知的障害者福祉施設のクリスマスパーティーでした。
当日は大会場が埋まる規模で、障害者の方々や施設のスタッフが集まっていました。しかし、アルバイト達は皆試験対策で自分しか参加しておらず、えらく忙しく。
いきなり暴れ出す方が何人も居たり、それを宥めるスタッフが囲んでいたり、ドリンクを届けたら「ありがとうありがとう」と袖をなかなか放してくれない方も居たり。
その日はクリスタルグラスが幾つも割れました。「お客さんに怪我させてはいけない」と、箒と塵取りを持って走り回ったり。
二時間ほどの宴会だったと思うのですが、丸一日働いた以上の何かがありました。施設のスタッフの方々は余程人間が出来ていないと務まらないだろうなぁと。人柄も体力も。
その時に著名人さんから頂いたサインは数学の教科書に残っています。今でも宝物です。
四人目は、都心の下町で暮らしていた頃です。
小さな古いマンションの大家さんは元芸者さんで切符が良い性格で、タナゴな自分のことを我が子の様に叱ったりする場面も。いつも愛情を感じる方でした。
しかし、かかりつけの町医者が大家さんの体調不良な原因を見抜けなかったらしく、ある時期から日々痩せ細っていました。
大家さんの外出はいつも旦那さんと一緒だったのですが、遂には外出も難しくなり、ある夜いつの間にか危篤状態に。
地元の救急病棟で一命はとりとめたものの、一時間以上の心肺停止で脳に大きなダメージが。その後奇跡的に意識は戻ったのですが、言語も記憶も全て失ってしまい。
幾度かの転院後もお見舞いには幾度も伺いました。しかし、意思の疎通は出来なく全く別人格になってしまった大家さんに、自分もどう接したら良いのか分からず。
噛み付いたり爪で引っ掻いたり、点滴を外そうとしたりで普段は腕が紐で縛られていて。
あの夜に救急車を呼んだのは自分で、それくらいしか恩返し出来ていなかったから、遠くてもせめて月に一度はお見舞いに行かねばと。
入院中にいつも献身的な介護をされていた旦那さんにも頭が上がりませんでした。亡くなるまでの一年間、良くやられたと思っています。
自分がその立場だったら、そこまで出来たのか何処まで出来たのか。
大家さんの葬儀の日、自分は受付を担当しました。大家さんと同世代のお婆ちゃん達も集まっていました。地元では見掛けたことの無い芸者仲間さん達だったそうです。
そして、「あの人にこんな立派な息子さんが居たんだねぇ」と口々に。誰がそう言いだしたのか分かりませんが、敢えて否定はしませんでした。
素敵な誤解だと思えたんです。
表題の事件について考えてしまうことはあっても、なんて綴ったら良いのか分かりません。
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