柴又が紹介された記事

柴又が紹介された記事が、ちょっと癪に障ったのでこちらに綴ってみることに。
代官山からガチな「下町」へ引っ越した、イラストレーターの私が「得たもの」と「失ったもの」』という記事です。

まず、「おしゃれで文化的なもの以外は何でもある」という表現がどうにもスッキリせず。この方が気付かれていないか視野が狭いかだけかと。
そもそも「お洒落」とは何ぞや?になってしまうのですが、お洒落とか流行とかは時代によって変わるものですし、お洒落の流行が去った直後はカッコ悪さの代表格にもなったり、忘れられた頃にリバイバルしたり。(帝釈天が流行った江戸時代の一時期はおしゃれで文化的な町だったかも知れず)
また、文化的なものについては柴又にも色々残っていると思いますし、活動されている方も多い感です。着物文化を広めようと活動される海外の方や、昭和レトロをこよなく愛する方や。
巣鴨のとげぬき地蔵にしても、柴又の帝釈天参道にしても何がキッカケてお洒落と見直されるか分かりませんし、ひょっとしたら今年の年末に公開される「男はつらいよ」で柴又は大ブレークするかも知れません。若い人には新鮮でしょうし寅さんな服装が全国的にブレークするのかも知れません(流石にそれは無さそうですが)。
どうにもお洒落な町から引越してきた的な、上から目線臭漂う文章だなぁと思えてしまい。

あと、「下町」という表現についてです。
これも自分は神田で十数年暮らしていたので、下町という言葉の扱いは慎重だったりです。
何代も神田で暮らしている方にとって、「下町」とは江戸時代から続く城下町神田の代名詞であって、それ以外の土地の者が無暗に下町だと名乗ると笑われてしまったり。
人によっては「城下町」が下町の語源だと言い張る方も実際に居ました。
神田の町歩きを手伝っていた頃は「本郷もかねやすまでは江戸のうち」何て言葉を幾度も聴いたり。
他にも、柴又の歴史を紹介されていた文章が何処かのサイトにあったのですが、どうにも見つからず。ここでも神田の人に気を配られていた記憶です。

と文句ばかり綴ってしまいましたが、それ以外の部分は概ねそんな感じかなと思います。
記事に登場する幾つかの写真が自分の行動範囲と重なっていたので、何処かですれ違っていた作者さんなのかも知れません。

追記:
記事中に柴又を連想させる写真が幾つかありましたが、本文で柴又とは一言も触れられておらず。
ちとトリッキーというか、消防署方面からやってきた消火器売りに近いというか。
なんじゃこりゃ。

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