何処でもあること

ちと重たいネタです。
例えばブラック企業であっても、配属先の雰囲気が良ければ、案外快適な職場だったりします。仕事内容そのものがキツくても、同僚達の助け合いで乗り越えられたり。
むしろ、この部署で良かったと思えたりです。

どんなに大きな企業でも、部署単位で組織は細分化されていて、その所属先によって雰囲気もガラリと変わったりするものです。
普段、顔を合わせる相手が一緒な点では、大企業も中小企業も大差無いとも思えます。

もっと細分化すると、所属先の上司の人柄が良ければ、面倒な仕事でもスムースに物事が運んだり。これが逆ですと、不運としか思えない場面も多かったりです。
上司の人柄が悪い上に、教え方が下手だったり、指示が曖昧だったり、結果的にミスが発生したらネチネチとお説教が長かったり。悪循環の環境です。
安定した会社であっても、こんな不運は起こりえることです。転職であっても、社内の異動であっても。

環境によっては、過去の経験により短期間で実績を残せたり、その積み重ねで信頼や自信を勝ち取れたりもあります。立場も築けたり。
しかし、環境によってはまずその仕事のルールを熟知し、仕事に慣れて独り立ちまで一年以上掛かる部類もあります。その間は基本的に意見も出来ず。
ここで直属の上司の人柄がマズいと、二進も三進も(ニッチモサッチモ)行かなくなったり。
転職にしても異動にしても、入ってみないと分からないのは仕事内容そのものより、直属の上司の運かと。
勿論「人のせいで」は誰しも理由にしたくないハズですが、組織上は直属の上司に従うのが大前提。お堅い仕事ほど例外なく。

話が飛ぶのですが「馬鹿!」というセリフには二通りの解釈があるかと思っています。
「全くしょうがねーなー」な愛情の隠れた「馬鹿!」と、単なる突き放しの「馬鹿!」です。
表向き一緒でも意味合いは全く異なりますし、本当の馬鹿でなければその見分けはつくものでしょう。叱りが全てイジメのワケありません。

いわゆるイジメをしてしまう人は、本人も過去にイジメを受けていそうです。「昔はもっと酷かった」も併せて使われる言葉です。
そのイジメが度を越した長時間に渡るのは、暇な環境も手伝ったり、仕事以外に大きな問題を抱えていたりするようです。(そんなの部下にどうにも出来るワケなく)
と、だんだん救いようのない文章になってきました。

「まぁ運が悪かった」と、これ以上考えるだけ無駄だと開き直るのも大切。
無理して死ぬまで続けてしまった人も観てきましたし、無理して壊れてしまった人も観てきました。誰もそんなの望んでいなく。
「張り詰めた糸はいつか切れる」
世の中生き方は他に幾らでもあるワケで。
取り返し付かない状況ではまだ無いハズ。

話が飛びます。「誰しも板挟み状況なんだよなぁ」と思い出しました。
以前に読んだ周恩来さんの記事、過去にもこのBlogで綴っています。
文化大革命中には多くの人の命が奪われたそうで、特に出来る人ほど対象にされたそう。
その中で国のナンバー2の存在だった周恩来さんの存在は大きかったそうです。

この方が居なければ、更に多くの犠牲者が出ていたそうで。
トップである毛沢東が上司なワケで、周恩来さん本人は思ってもいないことを国民に伝えなくてはならなかったり。
国の上層部にも多くの犠牲者が出た中で、周恩来さんは何とか生き延びて。
周恩来さんの立場を知っていたからか、国民から信頼される人物だったそうです。国外からも信頼される人物で。
あの酷い状況下でそれが出来たのは、やはり凄いなぁと。

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