テスラコイルを観てきた

1999年のMOMAで撮ったMacとThinkPad

1999年のMOMAで撮ったMacとThinkPad

本日は午後から地元の中学校跡の現代美術らしき空間へ。開催期間は明日までだそう。
マッドサイエンティスト系な作品に期待していたのです。即ち、テスラコイルでした。
B級SFムービーに登場しそうな小道具とも思われるそれ、自分はまだ実物を見たことがなくて。以前から気になっていました。

入場料の800円を支払って伺ったところ、MOMAとは違ったムード。
「優秀な営業は道に転がる石さえも売る」みたいな言葉を何かで読みました。それは、何らかの付加価値をそこに与えられるからかも知れません。何らかの表現で。
しかし、本日観たそれは無理がありました。これでお金を取るのは危険だと思いました。

一時間に一度しか電源を入れられないテスラコイルは数分前に披露されたばかりだった様子でした。
残りの五十分を費やす場所がそこに無かったため、気になっていた小道具を求めに秋葉原の街へ出掛けました。当日のチケットを持っていれば、幾度でも再入館可能らしく。
七年ぶりくらいで、気になっていたコンデジを購入し、再び現代美術館へ戻りました。

テスラコイルのSW(スイッチ)がONされる直前、その場は沢山の若者で溢れていました。(大学生までは安い値段で入れるようです)
カメラを構えていた自分は、「撮影禁止です」と怒られました。(すみません)
如何に凄いモノが登場するのか待ち構えていると、大音量のモノフォニックな音が響き渡りました。

これはスピーカーで鳴っているのかどうなのか謎です。少なくとも、目の前でチョロチョロふざけている一本の電気の流れからでは無さそうです。
もっと、豪快に何本も飛び回る、荒れ狂う放電とは懸け離れていました。
そう。目の前のテスラコイルは、体調不良の頼りなく流れる小便の如く、定まらぬ一本の放電でしかありませんでした。

「これからもっと凄いのが始まるに違いない」
そう思っていたところ、音も放電もSWがOFFしました。

館内放送。
「これで終了です」

会場はどよめきと妙な笑い声が溢れました。実際、自分も笑ってしまいまして..。

そのまま会場の外に出た自分は、考えながら自宅へ。
マンハッタンとかアムステルダムとかの現代美術館は、小さな空間の中でも、何らかの斬新さを感じました。それは戦前の作品であっても。こんなモノも芸術になるのか?なんてのも。
モノの配置とか演出とか、何かしらの付加価値とか、作品を立たせる知恵が何か働いていたのだと思います。
刺激物溢れる現代で、感覚が麻痺してしまった自分に問題があったのか。(帰り道の皆さんは自分と変わらぬ感想を漏らしていました)

先程観たそれは、シュールな笑いを生むだけしかなく、誰も連れて行かなくて良かったと妙な安心感を覚えたぐらいで。
自分だったらどうする?と考えても、何が足りなかったのか分かりません。(文句だけで申し訳ないです)

自宅から徒歩五分の会場、今後に期待しています。
ガァ

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