合衆国に入ってきた


[ 一番右はビール風味の甘い炭酸水 ]
本日は友人の誘いで昼から米軍の厚木基地へ伺っていました。友人の職場です。
基地の中は自動販売機も、背の低い建物も背の高い人々も、実に合衆国でした。
建物の中の香りも合衆国でした。十年前に渡米したときと同じ香り。
文化の違いみたいなものも、色々ありました。
クリスマスの飾りはこの時期でもまだ残すようでした。
日本では全くみたことのない飲み物も、食事のついでに頂いてみることに。
ビール味の甘い炭酸水、独特な味でした。ノンアルコールです。
生まれて初めて飲むコーラとかも、こんな感じなのかな?
ガァ
基地内を色々と案内してもらった帰り道、嘗てお世話になった近くの場所にも連れて行ってもらいました。
神奈川の大和市に嘗てイトコが住んでいて、夏休みや年末年始は幾度も遊びに伺っていたんです。
当時小学生だった自分は、それが楽しみでした。


母上の弟にあたるイトコでした。当時母子家庭だった自分には父親以上の存在なオジサンでした。
いつでも優しく、自分達三人兄弟を平等に扱ってくれたんです。
夜になると風呂上りのパジャマ姿でお隣のご家族とカードゲームをしたり。
お隣には自分より五つくらい年上の、年頃のお姉さん姉妹がいて、やはりいつも優しく接してくれて。
暖かい思い出です。
あの家、まだ残っているのか、大和駅から道に迷いつつ車で向かってもらいました。駅前から街並みはずいぶん変わってしまって。
途中で通り過ぎた小学校がヒントになりました。嘗てオートバイ(小型のレジャーバイク)の乗り方をオジサンに教わった校庭です。
「あそこから先には行っちゃダメだぞ」と言われたものの、上手く運転できず、用務員さんに怒られたりした小学校でした。
怒られたのはオジサンでして..。
道をそのまま真っ直ぐ進むと、当時のままのセブンイレブンが残っていました。
この複雑な交差点の左側に、あったハズです。
しかし、嘗てのオジサンの家も、お隣さんの家も、現代風な建物に替わっていました。
オジサンの奥さんも娘さんも、もうここに居ないのは存じて居ますが。
オジサンが癌で亡くなったのは二十五年前。いまの自分より、五歳も若い歳。
それでも、オジサンは自分の中で、ずっと大人な存在のままです。
ちょっとした距離の本日のドライブ、行きも帰りも基地内も、友人夫婦と話題に事欠きませんでした。
何だか感謝な一日です。
ガァ

コメント

  1. billy より:

    わたしもSUKIYAKIさんみたいなことを、よくします涙
    旦那が”思いで迷子”と名付けてました。

  2. SUKIYAKI より:

    billyさん
    自分の場合、時をかけるオッサンでしょうかネ。
    もう一度寄ってみたい場所が幾つかあったりします。
    場所は残っていても、人は残っていないが多いかな。
    ガァ