最近、恐ろしいことに気付きました。
自分は紙と鉛筆での計算が、ロクに出来なくなっていたのです。
ラプラス変換やフーリエ級数、微分積分、そんな高等な部類ではなく、一次方程式以前の単なる数桁の引き算です。
Excelばかり使っていたせいもありますが、言い訳に過ぎないのかもしれません。
だいたい、同じ条件で漢字もロクに綴れなくなっています。
手書きの文字も、やはり汚く。
仕事という実務面や、試験の場で、パーソナルコンピューターや辞書が無いと、生きていけない身になったのかもしれません。
今回は、またしても長文です。
元々、自分は受験での丸暗記が苦手でした。
そのくせ、つまらないことばかり覚えていて。
所謂、私立大学受験向けな脳味噌に違いないと、大学受験時に悟ったのは間違いなかったと思います。
受験科目が五個以上なんて、無理でした。
「興味の無いこと」に対しての記憶なんて、苦痛でしかなく。
そりゃ、高校受験のときに登場する単語や数値は、長い義務教育からの積み重ねだったので、何とか覚えられました。
個人的に、大切だった方の命もかかっていた状況だったので、苦手な丸暗記科目も自分で尻引っ叩いて覚えられました。
その時だけは。
無理して入った公立高校にて、奨学金を頂ける権利を獲得するまでだったでしょうか。自分の学業は。
その後はアルバイトに明け暮れ、「人生とはなんぞや?」と、先人の仕事っぷりに考えたものです。
高校での授業で面白かったのは、アル中の音楽教師による独演でした。(音楽的な才能は強烈な先生でした)
先生は社会の実体を暴いていました。「学業とは記憶力だ」と。
半分以上当たっている事実だと思いましたよ。
ただ、自分は運の良い時代以降を過ごせたのかもしれません。
その普及期から、自分はパーソナルコンピューターを触れていたからです。
努力を怠ったら、直ぐに忘れる計算や暗記を補助してくれる機械を、いち早く使い慣れていたので。
大学の在学中以降も、その経験で周りから重宝されていたようです。
パーソナルコンピューターの基本的な考え方は、この二十年ほど変化ないのかも知れません。骨格さえ押さえていたら。(例外は、初めてMacに触れたときと、ネットワークに接続したときくらいかなぁ)
自分の苦手な部分を、パーソナルコンピューターが肩代わりしてくれたわけですし、その扱いや性能も進歩の一途でした。
「こんなことが出来る」の知識や経験と、「あんなことをしたい」という想像力さえあれば、機械が手助けしてくれたのです。
お陰で、自分では単純な計算も出来なくなってしまったようです。
流石にここまで落ちたんじゃダメだよなぁ、と思いました。
ここで話が飛びます。
初めての職場の上司は、学生運動時代を学生として過ごした方でした。
自分からすると、とても大人で、いつも覚悟の備わっていた紳士でした。
その上司に一度だけ、飲みに連れて行って頂いたことがあるんです。
上司は珍しく語ってくれたんです。
私の学生時代は、学生運動で、授業がほとんど無かった。
それでも、卒業生を送り出さなくてはいけなかったようだ。
僅かに尊敬していた先生の講義が良かったんだよ。
「何も教えられなかった。調べ方さえ掴んでくれたら、それで十分だよ」って言ってたんだよ。
(いまでも)分からないことばかりだ。
上記ほど極端な時代ではありませんでしたが、自分の学生時代は、関数電卓の持ち込みが一部の試験で許されていました。
そろそろ、パーソナルコンピューターも許されるようになったのかなぁ。
実践的だと思うのですが。
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