ぬるま湯

火曜日から新しい仕事に就きました。
現在は見習い期間の電気工事屋さんです。
色々と厳しい環境だというのは想定していたのですが、想定外の部分もなかなか厳しく。
自分の人生はこれまでぬるま湯だったんだなぁと。

現場で使い物になる前に様々な作業を覚える必要があり、その一環でLANケーブルを綺麗に巻いたり、LANケーブルのコネクターを加工したり。
そんな練習をそれぞれ一日中続けたり。
ケーブル巻きは廃棄予定の回収品の山を綺麗に巻き直す作業で、これにもコツがあり、考えられた手順なのですが、考えてやっていては作業が遅く、ともかく身体が覚える必要があり。
LANケーブルの加工は何種類かあるのですが、ヨリ線を真っ直ぐに伸ばしてコネクターに入れる手順は皆同じで。
しかし、この作業も一日中繰り返していると指先が痛くなり、力もどんどん衰えていき。
握力もそうですが、指の表面がけっこうな痛さで。

自分は弦楽器が苦手です。あれも慣れるまで弦が指に食い込み、指の表面が硬くなってからが始まりの感で。
ある面、無神経である必要が。

このLANケーブルの加工作業は視力が良く無いと話にならずです。
細い8本の線は色分けされているのですが、これがちゃんと見分けられないと加工の失敗を招き。
老眼の進んでいる自分は老眼鏡でも見え切れず、ハヅキルーペの様な拡大鏡でやっと観える状況です。
熟練した人ですと、1箇所の加工に1分も掛からないそうですが、自分の場合は5分近く掛かる現状です。最速でも2分半。
ただ、いまは失敗しないことが最優先で、スピードは二の次です。
失敗の原因は線の色をちゃんと見分けられなかったか、細い線のヨリを戻すのが甘かったかのどちらかで。

その辺の指導は厳しいのですが、早く一人前になってほしい願いが勿論あるのだと思います。
帰宅するとほぼバタンキューです。そんな中、無線のローカル局へ帰宅後に伺いました。
半世紀以上電気工事を続けられてきた方なので、何かコツは無いのか質問し。
LANケーブルが世に出回り始めたのはここ30年のことで、ローカル局さんが仕事でそのケーブルを扱い始めたのは途中からだそうで。
誰から教わることも無く、自力で作業方法をマスターしたそうです。
ただ、コツの部分は職場で教わったのと同じでした。
やはりソコなんだなぁと。

自分の手は女性の手の様な見た目でした。指は細く手の平は薄く。
今朝観た自分の手はちょっとむくれていて、別物になっていました。
普段やる事が変わるだけで手の見た目もこんなに変わるんだなぁと。それもまだ数日なのに。
今朝、スティックコーヒーの袋を開けようとしたところ、切れ目が悪く指先で無理矢理開けようとしても上手く行かず。相変わらず指先が痛く。
ただ、ここで甘やかしていては慣れられないんだよなぁと。

話が逸れます。
昨日の事、嘗ての同僚B君からスマホにメッセージが届きました。
新卒で入社した会社の同期で、これまで耐えてきた同期の一人(A君)が退職するそうです。
既に三十年以上勤務していて、浪人のちょっと長ったA君は同期と言っても自分より二つ年上。
出口はもう近い年齢だったのに。

A君は研究開発部門で一緒だったり、同じ時期に本社の技術指導部に一緒に異動したり。
見た目は石田純一に似たナイスガイで女性からモテたものの屁理屈が多く、自分とは噛み合わない場面ばかりでした。
A君は運の悪い場面も何故か多く。例えば、故障車をけん引していたら道路横断していた男性が引っ張るロープの間で転び、引っ張られる車が男性を轢いてしまったとか。
人助けのつもりが人身事故に繋がってしまい。(ロープに赤い布を貼っていたら、罪は軽かったそうです)

そのA君は技術系であったものの、特にこれといった知識も経験も無く、本社時代は目立った成果など無かった記憶です。
自分は入社八年目で退職してしまい、その後のA君の経路をほとんど知らないのですが、結婚してマンションを購入した直後に地方へ転勤となったそうで。(あの会社はこういった意地悪が少なくなく)
その地方の支社では全く使い物にならず、相当苦労したそうです。
遂には鬱病になってしまい、会社には残れたそうですが役職者から平社員に格下げとなったそうで。
病気だけが理由でそうなることは無いでしょうし、病気が理由でよほどのミスでも犯したのだか。
自分と仲の良かったB君とは数年に一度再会していて、A君の現状を聴いたりしていました。
B君はとても口が悪い男なものの、自分とは何でも話せる間柄で、衝突したことが何故か一度も無く。そんなB君はA君を昔から馬鹿にしていて、でも何故か見捨てない情もあり。

B君から届いたメッセージに、A君の退職理由を聴いてみました。
健康問題が理由だそうで、それがどんな問題なのか謎のままです。
またメンタルで無ければ良いのですが。

転職歴の多い自分は、様々な職場を経験していました。
中にはブラック企業もありました。
仕事内容がキツくても、社内の雰囲気が良ければそれに結構救われたりで。
仕事内容もキツく、社内の雰囲気も虐め体質で救えない環境は、どうにも馴染めなかったです。
そんな環境は定着率も低いが故に、残る社員は曲者だらけだったりで。
ただ、家庭を理由に辞められないまともな社員も居たりでした。しかし、気の毒な事にその多くがメンタルを壊しがちだった感です。
メンタルを一度壊してしまうと、後が色々と大変だったりで。人によっては正常な判断が出来なくなってしまったりで。
過去の仕事でそんな方を何人か観てきました。病気なのだから仕方ないというスタンスで接しないと、ツジツマの合わない場面があり。

自分も「このままこの環境に居たのではメンタルを壊しかねない」と悟って退職した会社が幾つかありました。
人によっては「考えが甘い」と評価されてしまうのですが、そうなってしまってからでは手遅れだと自分は思っていて。
実際、メンタルに問題を抱えてから仕事どころか家族や友人を失う人も世の中には居て。
中には実の親からも見放されるケースもあったりでした。
症状が攻撃的過ぎるとか疑い深すぎるとかですと、なかなか辛いものでして。

症状が出る前の人徳で付き合えた知人もいましたが、症状が出た後に知り合ったら自分には難しかっただろうなぁと。
人によってその辺の考えは異なると思いますが、多くの人はそんなスタンスなのかと思っています。
長い付き合いだから許せる部分の一つなのかも知れません。
新卒からずっと同じ会社に居たA君もそれで守られていた部分はきっとあったのかと。
A君に子供が居るのか存じませんが、居たとしたらまだ学生なのだろうし。
大変そうです。

コメント

  1. ルノワールS藤 より:

    過去の職歴からも、体力的にキツそうな仕事が続いているようなので、とにかく健康には気をつけてください。

    • SUKIYAKI より:

      ありがとうございます。
      母の葬儀で久し振りに集まった身内の仕事内容を聴いたところ、自分より余程大変な日々で。
      あの場でそういった話が出来たのも、運命的な何かを感じたりでした。

      本文のB君はA君のことを散々笑いの種にしてきたのですが、電話したら喜んでくれるだろうからと、連絡先を教えてもらい。
      電話では確かに喜んでくれて。というか、感謝してくれていて。二十年ぶりの会話、奴も随分と丸くなっていて。
      余程辛い日々が続いていたんだろうなぁと。

      自分もあのままあの会社で続けていたら、世間体は良かったと思うんだけど、メンタルをやられた可能性は十分にあったと思う。
      色々と考えさせられた一週間だったよ。