池袋

昨夜だったかのニュースで見掛けた池袋の乱闘事件、サンシャイン60の上層階レストランで百人規模の殴り合いだったそうで。
その集団はチャイニーズドラゴンで仲間の出所祝いで何故か揉めてしまったそうです。
チャイニーズドラゴンというと過去にも抗争事件で残忍な攻撃が話題になったり。耳を食いちぎってしまうとか。

チャイニーズドラゴンは中国残留孤児の二世三世で構成されているそうなのですが、準暴力団に指定されているらしく。
だいたい、池袋の治安や雰囲気が山手線沿線で一風変わっていて。埼玉の玄関となる駅なのですが、夜の雰囲気は昔から独特の怪しさがあり。

自分は中学二年までの十年ほど東上線沿線の埼玉のベッドタウンで暮らしていました。
当時は他の街と比較できないほど、その街しか知らず。
たまに親に連れられて都心に出る際は必ず池袋を通過したのですが、その巨大都市ぶりに驚いたものでした。大きく立派なデパートが駅前に立ち並び。
小学校の二年次くらいに開業したサンシャイン60も立派な建物で。小学校の屋上からも遠くに観えるノッポビルでした。
ともかく当時は池袋が大都会に観えて。

そんな時代に中国の残留孤児が日本にやってくるニュースは毎日の様に放映されていた記憶です。
遠くの話かと思っていたら、案外自分の身近にも関わっていました。
自分が小学六年生くらいの頃だったか、残留孤児の二世が別学年に転入してきたそうです。
自分のクラスの担任はかなり癖のある女性だったのですが、国立大出身で漢文にも強かったので別学年の二世の対応もしていたそうです。
中国語は片言しか出来なかった担任ですが、筆談のようなカタチでコミュニケーションは取れたらしく。

担任は自分達生徒に「雨にも負けず」を丸暗記させるくらい宮沢賢治も好きな人物でした。
あの詩は自分も好きになり、大人になってから宮沢賢治の短編集を何度も読み返したり。
そして、二世の気の毒な状況も何かの授業の合間に伝えてくれて。
生活様式が全く違うせいで、虐めに遭っているとか。例えば遠足に持参したお弁当が栗饅頭で皆に笑われてしまったそうです。
笑われてしまい悲しむ二世に担任が事情を聴いてみたところ、出身の中国の農村では栗饅頭は大変なご馳走だったそうで、母親は胸を張って包んでくれたそうです。
なのに馬鹿にされてしまい。

こういったのは親の方が日本の文化に慣れていなかったりかと。親も中国語しか話せなかったらしく、自分が育った文化圏での風習に自信あった様子で。
小学校停学年の息子さんとしたら母親に従うしか無いでしょうし、日本文化とのギャップに苦しめられる日々で。
何だか板挟みで可哀そうだなぁと。
そして、駅に近い他の小学校にも二世が居たとのニュースがありました。残念なことに地域で一番背の高かった新しいマンションの屋上から飛び降り自殺してしまったそうで。
もっと壮絶な虐めにあっていたらしく。
チャイニーズドラゴンの抗争事件を知る度に、当時の子供を思い出してしまいがちです。

自分は中学三年から高校を卒業するまで北海道で暮らしていました。転入当初はやはり文化の違いで笑われたりちょっとした虐めに遭うことも。
しかし、あの二世のことを思い出すと大した問題じゃないと自分に言い聞かせられたり。
そして進学で東京に出てきてから、また視点が変ってしまい。

自分は新宿区のボロアパートで暮らし始めていて。少し歩けば本物の副都心やら歓楽街もあり。深夜に帰宅出来なくなった友人が自分の部屋に転がり込む場面もしばしば。
だいたいは酔っ払っていて、部屋で吐かれてしまったことも。仕方ないなぁで許してはいたのですが。
そして、久し振りに寄った池袋がやたらと田舎臭く写ってしまい。

池袋の街自体はソコソコ立派だったものの、その街をうろつく人々が垢抜けていなく。特に夜の街を歩くオッサンがウエスタンみたいなベストを着ていたりで、まるで異国のチンピラで。
それがまた粋がった様な肩を切る歩き方で、これは何か違うと。
山手線の沿線上で池袋はやはり埼玉の玄関で、これでは馬鹿にされても仕方ないと思えたりでした。
実際、子供の頃に仲の良かった友人が都内の高校に進学し、それ以降は同様のギャップを感じてしまったそうです。
同じ国内の隣りの県なのに、文化や風習はずいぶんと違う様で。
自分も幼少期に暮らした街へ時々出掛けていたのですが、行き交う人々はボーっと生きているようにしか写らずで。中には口を開けたまま歩いている人も。
まぁ治安も悪く無い地域で安心して暮らしているんだろうなと。人に観られているなんて感覚も不要なんだろうと。

今回の抗争事件が池袋だったのも、そんな流れで頷けてしまったりです。
そういえば、自分が中学時代に北海道に引越した直後も埼玉出身だからと「ださいたま!」と馬鹿にされたもんだなぁと。
自分からしたら引越した先の方がもっと田舎だったし、流行っていたテレビ番組のタレントが「ださいたま!」と笑いのネタにするのとワケが違い。
ただ、東京で暮らしている人からすると池袋も含めて、妙なワンダーランドな埼玉でもありました。
いま自分が暮らしている柴又は呑気な雰囲気が好きだったりなのですが、これは幼少期に過ごした埼玉に近い何かを感じたりで。
でも、居心地は良く。

上京直後に暮らしていたボロアパートの最寄り駅は新大久保。バブル全盛期。
当時は現在よりも様々なエスニック臭が濃かった記憶です。歌舞伎町の裏側な土地でもあり、夜でも異国情緒が漂い。
日本では珍しかった宗教の食材を販売する専門店もあったりで。飲食店によってはその前を通過するだけでも珍しい香りが漂ったもので。
暴力団の抗争事件も珍しくなく、大学の帰り道では黄色い規制線も張られていたり。何があったのか警察官に聴いてみても教えてくれず。
家でテレビのニュースを観たら発砲事件だったそうで。
あんな治安の悪かった新大久保も韓流ブームだかで現在は原宿以上に若者の人気スポットだそうで。
数十年後は池袋もトレンドになり得そうです。

コメント

  1. p より:

    今、ださいたまで暮らしています(^-^)♪笑
    終の棲家として選びました☆

    • SUKIYAKI より:

      おぉ、Pどんは引越してもずっと神奈川なのかと思っていました。
      埼玉で幼少期を過ごすと、いつかは海のある県で暮らしてみたいなぁと。
      逆のパターンもあったとは。でも住めば都かと。