やっとの処罰

某マルチまがい商法の会社が6カ月の取引停止命令になったとのニュース。
個人的には「やっとかよ」といった感想です。
自分自身は被害者でも何でも無いのですが、25年ほど前に母がハマっていて自分が暮らしていた会社の寮にもサプリが度々送られてきまして。
モノは悪く無いと思えるのですが、販売方法が胡散臭く。日本で云うネズミ講なのですから。
ハマって在庫を大量に抱えて破産するような人も居たらしく。
そんなモノを部屋に置いていたら、自分まで誤解されてしまいそうで母には「送ってこないで!」と度々伝えていたのに。
あの団体ではそんな対応マニュアルでもあるのか、母は一切ひるまずでした。
「それ以上続けたら縁切るぞ」と苦言を吐いたものの、母は全くひるまず。
どうやら、その意味を理解していない母だった様子。
あれだけ沢山の難しい本を読んでいながら、何処まで世間知らずな母だったのであろうか。まともな解釈を一切出来なかったということなのか。

その一件でも母への不信は自分に限らず広がっていたとも思えていて。自分も高校時代の三年間、市内では文化活動を楽しんでいて、その後に油絵の教室に通い出した母は共通の知り合いが居たことに驚いていました。
どうやら、そんな文化活動の知り合いにも母はあの団体の製品を紹介していたらしく。
その後に自分は実家へ一時期戻ったのですが、この頃には母もあの団体への熱も冷めていた様です。
文化活動の友人は全て失っていたらしく。全く噂通りでした。人をお金に換えてしまい、最後には何も残らないと。悪に魂を売るようなもので。
自分としても当時の文化活動な方々と再会したかったものの、母がきっと迷惑掛けたでしょうし恥かしくて。
七月の母の葬儀で帰省した際、街の中心部では美術協会の展覧会が開催されていました。
たまたまタイミングが合ったので展覧会に寄ってみたのですが、自分がお世話になった方は皆既に他界されていました。

しばらく前から霊感商法の宗教団体にも社会から厳しい視線が向けられ、世の中良い流れになってきたと思います。
駄目なものは駄目だと。どうせあのマルチまがいな団体も、政治家と何処かで繋がってこれまで見逃してもらっていたのでしょうし。
家庭を破綻させてまでお金儲けな目的は一緒なので、宗教だろうが営利団体だろうが関係ありません。

話が大いに逸れます。
前回の記事で綴った母の戸籍謄本の件です。
実家の市役所に本日問い合わせたところ、母の最後の本籍はそのままだったそうです。
なので、自分が請求すれば頂けるそうで。
しかし、心配していた点は心配通りでした。請求した戸籍謄本の返送用封筒は請求者の住所にしか送れないそうで。
間をショートカットして、年金終了の手続きをしていた叔母の年金事務所に直接送るのは駄目だそうで。
それが判明したので、叔母と電話で話し合ったのですが、年金事務所が市役所から母の戸籍謄本を直接頂けなかった場合、自分が請求する流れになりました。

母が他界するまでの一年間、叔母とは介護の慣れない手続き等々で「どうしようどうしよう」と相談し合ったもので。
叔母も自分もお互い気を遣っていた部分もあって、なかなか前進出来なかったり。
ただ、「自分はそうしたい」と意思を伝えるばかりで、動いて頂けたのは叔母ばかりで。

特に最後の一ヶ月は実家で母のそばにずっと居た叔母はクライマックスの母の葬儀でも頑張っていて。相当な疲労が重なっていたと思います。
葬儀が全て終わった夜に息子さんの運転でご自宅に向かわれたのですが、ホッとした半面、もう連絡を取り合うことはしばらく無いんだろうなぁと。
お互い、母を何とか安心させたかった気持ちに変り無く。そして、母の駄目な部分で過去に被害を被った同士でもあったりで。

それが、他界後の手続き等々で相変わらず振り回されていまして。
あっちに逝ってしまった後も、母はその存在を誇示しているのであろうか?
「あんたら、まだ母さんを忘れちゃいけないよ!」と。
自分としては「はぃはぃはぃ」です。

叔母との電話で、今回の行政の対応についても愚痴りあいました。
自分の世代が高齢になったとき、やはり少子高齢化だの核家族化だの進んでいるでしょうし。
葬儀は小さくなる一方でしょうし、遠縁が喪主など面倒な役でしか無く。
前回の記事に綴った部分ではあるのですが、後処理が面倒で放置され、まだ生きていることになっている契約は幾つも残るんだろうなぁと。
その辺の手続きの改善が進まないと、世の中無茶苦茶になってしまいそうです。
だって、消息不明な書類上の最高齢者は150歳以上が何千人も居る日本になってしまうのでしょうから。
これは、喜べぬ長寿大国です。

母の葬儀は当初四人程度の北海道の身内で終わらせる予定だったものの、コロナ禍が静まらぬ面倒な中なのに関西方面の身内四人もどうしても参加したいとの連絡。
これは断れぬと実家での葬儀は難しくなり、寝泊まりも出来る会場を借りて。
数十年ぶりに集う身内が皆優しい善人で、これにまた泣けてしまい。
自分も幾つかの葬儀にこれまで参加してきましたが、ほとんど全てお世話になった方でした。
自分の世代が高齢者になった頃、そういった絆みたいなのってどうなっているのだか。
せめて、事後の手続きくらい簡略化してほしいものです。
人間関係も簡略化しちゃっているのでしょうし。

コメント

  1. ルノワールS藤 より:

    俺の父親が亡くなった時も、残された母親、妹、自分という三者が全員、別々の場所で生活している関係で、戸籍謄本はどこかで必要になるだろうとの予測から、予備も含めて4通ぐらいいっぺんに取った記憶がある。
    結局そんなに使わなかったけど。
    三人のなかで唯一地元にいる母親は、看病時に腰の骨を折ってしまいフットワークも悪化、加えてスマホどころかガラケーすら持ったことが無いインターネットゼロ環境のため、年金などの名義変更、自動車の処分は俺と妹メインで動いたなあ。
    ちなみに千歳市役所の対応は、親切丁寧でしたよ。

    • SUKIYAKI より:

      自分も七月の帰省時に念のため母の戸籍謄本を取るべきか迷えていて。
      今となっては無駄になっても取っておくべきでした。

      母の事後対応については叔母に任せっきりだったので、叔母の方が色々と大変で。
      今回の件、面倒な部分は少しでも自分が引き受けなくちゃという感で。
      ルノワールさんの場合は長男だし、その辺の責任は重かったかと。まぁ子供の頃は長男だから少しは優遇された部分もあったと思うので、これでちょっとは帳消しかな?
      うちの場合は親からも兄弟からも散々な扱いを受けた三男なのに「最期まで何で俺やねん?」と笑えるくらい。

      叔母はパソコンもスマホも使いこなせているので、これまでも言葉だけじゃ伝わらなかった部分とか、助かった感です。
      母と自分のメッセージの遣り取り、あの滅茶苦茶具合をスクリーンショットで叔母に送れなければ、母の認知症も否定されたままだったかと。
      下手したら二人を敵に回してしまったかもで。

      「もぅ俺の知ったこっちゃねぇ!」って感情はそこまででも幾度かあったんだけど。
      母からしたら、相変わらずお人好しで駄目な馬鹿息子のままだったんだろうなぁと。