飼い主失格

高校生時代に実家で飼っていた猫の話を綴り掛けたのですが、えらい長文になってしまい。
途中で根気が抜けてしまいました。結末がまた書き難い内容で。

要約すると、
北海道に引越して二度目の冬が訪れる直前、黒猫が助けを求めてきた。
自衛隊の官舎暮らしで本来は飼えなかったが、春が来るまでは泊めてあげることになった。
近場で見掛けたことのない猫だったので誰かに捨てられたとしても、こんな時期に捨てられるのは可哀想だった。
トイレは直ぐに覚えたし、家族を恐れなかったので何処かで飼われていた様子だった。
うちは貧乏だったので猫の餌など買わなかった。逆に残飯整理で助かった。
試験勉強の一夜漬けで湯たんぽ代わりに抱きしめていても、途中で逃げ出した。そのくせソファーでそのまま転寝していたら腕を勝手に枕にされていた。
通学で玄関を出る際、一緒に出たがり、バス停まで着いてきてしまうことが度々あった。
しかし、バス停のある道は交通量が多く、そこまで着いてこない様に何度も追い払った。
夕刻の帰宅、バス停から自宅の間には小さな公園があり、自分が歩いていたら黒猫が駆け寄ってきて足元にまとわりついた。
その間ずっと待っていたのだか。
時々鳩を捕ってきてくれたが始末に困った。恩は感じている様であった。
回覧板で猫を飼ってはいけない旨のお知らせが周ってきた。
もう春が訪れていたので拾ってきた自分が捨てに行かされた。数百メートル離れた畑へ捨てに行き、間には橋の無い用水路があったので返ってこれないだろうと思っていた。
しかし、翌朝帰ってきた。どうやって帰ってこれたのか見当がつかない。
仕方なく養父がもっと遠くへ捨てにいったのだが、半日後に同じ場所でニャーニャー泣いていたので連れ戻してしまった。

ここから先は記憶が曖昧です。2シーズン飼っていた記憶が無いのですが。
冬の間に黒猫は妊娠していて赤ん坊が4匹生まれた。
生まれる直前に黒猫は自分を呼び出し、目を見つめてやたらニャーニャー鳴いていて「今度は何が言いたいんだよ?」と考えていたところ、お産が始まり慌てて籠とタオルを用意した。
その籠で赤ん坊を育ててほしかったのだが、黒猫は押入の奥へ何度も赤ん坊を隠そうとした。
赤ん坊が可愛かったので手に取ると、黒猫は「返せ返せ」とやたら抗議してきた。
春が近付いた頃に窓を少し開けていたのが悪かったのか、子猫が一匹居なくなった。恐らく、他の猫に連れ去られたらしく。
黒猫は自分が犯人だと思ったのか「返せ返せ」と抗議がやまなかった。「俺じゃねーよー」と自分も困った。
疑われているのだか信頼されているのだか、何だかよく分からなかった。
子猫が養父の手の上で粗相をし、潔癖症だった養父は窓から子猫を勢いよく投げ捨てた。
危うく向かいの官舎の壁にぶち当たるところで「死んじゃうじゃんかよ!」と自分は怒って拾いに行った。
その子猫は兄弟の中で一番どん臭く、いつの間にか家を出てしまった。
黒猫はあれだけ子猫達を大切にしていたのに、ある程度成長したところで子猫達は黒猫に追い出されてしまった。
猫の習性なので仕方ないのですが。
外での様子を観ると、誰にでも懐いているワケでは無さそうだった。
何でまた自分に助けを求めてきたのか、最初から懐いてきたのか謎だった。
平日はいつも詰襟の黒い制服を来ていたから、黒猫は仲間だとでも思ったのか。
夏のこと、養父が黒猫を捨てに行った。回覧板で更に問題になっていたのでもう仕方がなかった。

一年程経った頃、あのどん臭かった猫がふらりと家に訪れた。随分と体格が良くなっていたものの、鼻先の模様が特徴的だったので奴だと直ぐに分かった。
何処でどうやって生きていたのだか見当が付かなかった。その間に見掛けることなど一度も無かったのに。
最近知ったのですが、北海道の野良猫の冬は予想以上に大変な生活らしく。真冬は暖を取る為にマンホールの蓋の上で一夜明かしたり。

要約のつもりが、それでも十分長くなってしまいました。
最終的に捨ててしまって申し訳なくもあるのですが、80年代のペットはだいたいあんな扱いだったと思います。
現代ですと虐待扱いされてしまうのでしょうけれど。
当時は普通に野良犬も居ましたし、犬の散歩でも飼い主が糞を拾うようなマナーも無く、路上には犬の糞が転がっているのが普通で。
保護猫活動みたいなのも聴いたことがありませんでしたし、現在の様な耳がチューリップの猫なんて見たことがありませんでした。

小学生の頃は学校帰りに犬や猫を拾いがちな自分でしたが、家族裁判では皆却下され、代わりに兄が捨てに行った場面が幾度かありました。
全く馬鹿で無責任な弟だったと思います。

そういった経験が自分にあったので、一人暮らしを始めてからペットの類を一度も飼ったことが無く。
最期までちゃんと面倒見切れるか自信が無く。大好きなんですけれど。
過去の仕事では数週間から数ヶ月出張が続いた事もあり、ペットなどとても飼える立場では無かったです。

いま暮らす地域には野良猫が沢山居て、中には人懐っこいのも居ていつでも触らせてくれて。
しかし、保護猫活動が盛んらしく、触らせてくれた猫は皆居なくなってしまいました。
野良猫も随分と減った様子です。
保護猫活動をされている方々は皆責任持って頑張られていて頭が上がりません。
ただ、野良が一匹も居なくなってしまったら寂しいなぁと。
勿論それは自分のエゴなのでしょうけれど。

あの黒猫とは言葉が通じなかったものの、意思の疎通は十分はかれていたなぁと。必要な場面では必ず訴えてきましたし。
猫は意外に頭が良いとも思えたり、自分よりよほどしっかりしている気さえしました。

コメント

  1. p より:

    猫はあたま良いよね!
    びっくりすること
    いろいろあるよ♪

    ドア開けろ
    ベッドメイキングしろ
    ここに座れ
    一緒に寝ろ
    こっちへ来い
    ほかのごはんよこせ
    などなど
    毎日言ってくるよ♪

    自分が10歳若かったら
    猫とか犬とか増やしたかもしれないけど
    私が先に死ぬ可能性があるから
    よっぽどのことがない限り
    もう飼わないって決めてるよ

    • SUKIYAKI より:

      あの黒猫からは何度も怒られてしまい。なのに何故跡を追ってくるのか謎で。
      顛末を綴ったらPどんからも怒られちゃうかな?とちと心配しつつでした。

      うちの庭は野良のトイレでもあって、使わせてやるからたまには触らせろと。
      餌付けは駄目らしく、縮まぬ距離です。

      下町暮らしだった頃、小料理屋さんの看板猫が22年くらい長生きしてて。
      晩年は道路のど真ん中で昼寝してて、何度か定位置に戻したころも。
      この猫にも時々怒られました。

  2. ルノワール佐藤 より:
    • SUKIYAKI より:

      おぉ、猫飼いだったんだ。
      Facebookの方、だいぶ前にアカウント停めていて。
      ログインするのも面倒で、その状態でもチラっと写真観れた。
      家族で面倒みれるから安心だよネ。

  3. p より:

    怒っても
    慕っているんだよね♪
    猫にも好きな人嫌いな人いるし

    いつも怒られるだけの人もいるから
    馬鹿之介のこと好きだったんだよ。

    昨日は「自衛隊の官舎」で
    いろいろ思い出しちゃって。

    小学校のとき仲良かった子
    お父さん自衛隊で。
    新潟から越してきて
    また新潟へ戻って行った。

    中学校のとき仲良かった子も。
    卒業と同時に香川へ行っちゃったけど。
    その子の家にはよく遊びに行ったよ。
    私は官舎が好きで
    いいな~って、いつも思ってた。

    もう1人。
    中学校のときから25歳くらいまで
    仲良かった男の子も。
    彼に彼女ができたんだけど
    それからは会ってない。
    彼女がものすごくこわくて
    会えなくなった。

    そして
    ママの今の2番目の旦那
    (多分籍入れてないとは思うけど)
    元自衛隊だったよ。
    私が中学生のとき初めて会ったんだけど
    多分そのときにもうやめてたと思うけど。

    • SUKIYAKI より:

      自衛隊の官舎、狭くて古くて寒くて。
      うち、家族が多かったから本来入居出来ない幹部向けの家だったらしいんだけど。
      住民の皆さんはマトモな人が多くて変な心配は要らなくて。
      あと、同僚とか部下がよく遊びに来て、けっこう賑やかだった。
      大学で上京するまで自分の部屋なんて持ったことが無かったから、それだけでも嬉しかったり。

      黒猫、時々鳩を捕ってきて「ほらっやるよ!」って威勢良い時があって、野生なところもあるんだなぁって。そのときは顔つきが違ってた。
      自分の前ではよく尻尾立ててたんだけど、あれは甘えているサインだったらしくて。嫌いでは無かったんだなぁと。
      あの尻尾は良く出来てるよネ。変幻自在に動かせて。