Twitterでたまたま知った情報なのですが、最近の小さな子供はラジオの音を聞き取れないとか。
中学生時代、アマチュア無線で初めてSSBを聴いたときも、脳内デコードが大変でした。
若い世代はAMでも難しいのかな?
そこまで音質悪く無さそうなのですが。https://t.co/ZqumzTKJmE— JG1UTA (@Jg1Uta) May 21, 2022
これはちょっと驚きでした。
ただ、声がちょっと聴きとり難い例はあったりです。
場面が異なるのですが、自分は若い頃にそれなりに本を読んでいまして。現在は老眼が進んでしまい、かなり億劫です。
そして、見慣れない漢字の誤読というか間違った脳内音読が少なくなく。
どんな場面で間違いに気付くかというと、テレビのニュース等でテロップの文字とアナウンサーの声が異なった場面です。
アナウンサーが読み間違えたのではなく、ほとんどは自分の認識違いで。
これ、日常生活でも時々使っていたであろう誤読で、聴いていた相手は気を遣ってくれていたのかなぁと。出来れば指摘してほしかったのですが。
自分の場合は失敗から覚えることの方が多かったので。一時的な恥は大した問題で無く。
更に話が飛ぶのですが、世の中には本を全く読んだことの無い人も居るらしく。
勿論学校の教科書は読んでいるのですが、プライベートで本を読むことが全く無かった人が居まして。
それに魅力を感じなかったのだと思うのですが、人生の何割かをつまらなくしてしまっていそうで勿体なくも思えます。
映画やアニメや漫画も作品としての魅力は勿論あるのですけれど、言葉だけで情景が浮かぶ発想力みたいなのは、とても大切に思えていて。
また、映像化されていないような文学も少なくなく、本でしか知れない世界はあって。
自分の場合は文章を読み進む速度がとても遅いです。これが辛い時が幾度もありました。
最悪に近かったのが漱石の草枕の序盤で。何を言っているのか解らない表現が多くて、何度も同じ行を読み返す必要があり。
なので、センター試験の模試で現代文については酷い有様でした。
ただ、そんな試験で登場した文章が気になって作品を図書室で借りてみたり。
試験問題に登場した三島由紀夫の「真夏の死」は、海水浴に行った家族が溺死したらしき電報が突然届く場面、短い電報は解釈に逃げ道もありそうな。
その後の展開が気になってしまって、試験の直後に図書室へ走ってしまい。
何かの記事で読んだのですが、自分と同じように読みが遅い人の相談記事があり。
何処かの作家の回答は「作家としてはちゃんと読み取ろうとしている大切な姿勢がむしろ有難い」とのことでした。
まぁ考えようによってはそうだよなぁと、自分も少しホッとしたりでした。
仕事で技術マニュアルを綴る機会が多く、文章の書き方についての本を一時期何冊か読んだりしました。
基本的に流れの良い文章が好まれるらしく、自分もそれは意識しています。(意識していないと「が」を連発してしまう癖は抜けていませんけれど)
実際、素人の文章ですと流れが悪い以前に、どっちのことを言っているのかよく判らない系も少なく無かったりで。プロの文章ではそんなことが無いのですが。
あと、一時期「速読」にも興味を持ちました。司馬遼太郎さん等、著名人の方でも猛スピードで呼んでしまう方が居て。
速読を身に付けるための本も読んだりしたのですが、全く駄目でした。まず、脳内音読をやめられず。
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