Facebook

Facebookが騒がしいとのニュースが。
内部告発されたそうで「フェイスブックの製品は、子どもたちに害を与え、分断を助長し、私たちの民主主義を弱体化させている」との内容。
世代的に自分にあまり関係の無い話ではあります。

個人的にはあのシステムに馴染めず、ここ半年以上Profileは閉じたままです。
興味が無いというより、観たくもない情報に溢れていて。
以前にも綴りましたが、プライベートの繋がりと仕事の繋がりがごちゃ混ぜになるのも好きになれず。
ハンドルネームが実名に置き換わった頃から、特に苦手になっていました。
実際、仕事で関わったちょっと危ない方からも色々と観られていたらしく。薄気味悪いなぁと。
自分は馬鹿げた記事も載せがちでしたし、それを公開範囲限定にしてしまっては何のための公開なのか分からず。

Facobookは当初大学内の仲間内だけのSNSだったそうです。その範囲がどんどん広がり急成長。
ここまで巨大化するまでには身内の裏切りも少なくなかったそうで、それは映画化された作品の中でも描かれていたらしく。
まぁ、急成長したIT系では何処でも有りがちな現象だと思いますが。
サイト立ち上げの切っ掛けは、学内で気になる異性の情報をもっと知りたい的な流れだった記憶です。そもそもの生い立ちから言って動機不純というか。

旭川の女子中学生が虐めに遭い亡くなられた事件では色々と考えさせられました。
親しい友人の娘さんが丁度その年代で。赤ん坊の頃から知っている娘さんです。
あの事件でもSNSの悪用が不幸を招いていた様子で。
自分の学生時代はスマホどころかインターネットさえも無く。現代の子供は便利なモノを最初から手に入れているなぁくらいに思っていたのですが。
実際のところは、ネット上のコミュニケーションと実生活のコミュニケーションとどちらも上手く生きていく必要があるらしく。大人でもそうなのでしょうけれど、どうにも子供の方が悪用しやすいらしく。
こういった事件や犯罪に発展してしまうような事態、それ未満なのは幾らでも潜んでいるらしく。
逆に、そんなモノが無く実生活のみだった自分達の若い頃の方が、よほど幸せだったかも知れずで。中学生の娘さんを抱えた友人とも、そんな意見で一致したりでした。
自分にその世代の子供が居たら、どう対処するんだろうとも考えてしまい。使わせないという手段もあるのでしょうが、たぶん仲間外れなんだろうなぁとか。

SNSのサービスの問題というよりは、使う側の問題でしか無いのでしょうけれど、Facebookに限らずそういった場を提供している側に対策は求められがちなんだろうなと。
特に義務教育の期間は一般的な公立校に通っていると、生徒達の個性の幅が相当広い感です。学業面でも生活面でも。
自分は校内暴力世代だったので、度を越したワルみたいなのも少なくなく。
そういった世界から抜け出すには、それなりの学業成績でそれなりの高校に進むしか方法は無いくらいに思っています。
それなりではない高校に通ってしまうと、更に酷い世界が待っていたりで。(ワルが集まる高校の混沌とした日々はかなり凄いそうで)
旭川の事件に対しては、そんな中学校など通わなくとも卒業はさせてくれるだろうから、家でしっかり勉強してほしかったです。いまは時間稼ぎ出来るだけで十分だと。それを伝えられる大人は周りに居なかったのかな。

Facebookの文句を綴りすぎてしまったのですが、メリットも若干はありました。
音信不通になってしまった級友を何人か見つけられて。流石は会員数をこれだけ抱えたSNSだと。
それくらいでしょうか。
自分はTwitterの方が性に合っていそうです。互いに何処の誰だか分からない場の方が気楽でして。フォローし合うのは面識のある方だけにしていますが。
長ったらしいのはこっちに書けば良いのですし。

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