鬼龍院花子の生涯

映画「鬼龍院花子の生涯」を思い出しました。細かいストーリーを忘れてしまっていますが、夏目雅子さんが出演された一作です。
やくざの家へ養女として迎えられた出来の良い女の子と、出来の悪い実の娘と。
出来の悪い娘は世間知らずで、家を出た後にどうなったかというと結末辺りで届いた手紙に「おとうさん たすけて」と。
悲惨な人生に陥っていた様子です。(あらすじはこちらのサイトが詳しかったです)
自分、この作品のタイトルにある「花子」が養女役の夏目雅子さんだとずっと勘違いしていました。先ほど検索したところ、出来の悪い娘の方が花子だったらしく。
特に好きだった映画では無いのですが、当時の再現や一流の役者達による非日常的な演出はインパクトありました。

なんでまたこんな映画を思い出したかというと、某皇族の結婚予定の最近のニュースが腑に落ちずで。
人の結婚や恋愛につべこべ言う筋合いも無いし、口を挟むような真似はしたことが無いのですけれど、相手の親子があまりに情けなく。

だいたい、自分の苦手なタイプはハッキリしています。人の地位や資産に目がくらみ、それを利用するような奴がどうにも苦手で。
胡麻を擦ったり、担ぎ上げたりがみっともなく。どんな相手でも立てられるかと言ったらそんなことはなく、逆の立場にはえらく横柄であったりで。
映画でもドラマでも文学でも、そういった役が登場したりしますが、実生活で出会うそういった類は更にえげつなかったりです。
何かにあやかろうとした相手が不運にも地位や資産を失った場面で、それまでの恩を返すワケでもなく真っ先に捨てたりでして。

別にGive & Takeを望んでいるワケではないのですが、弱っているときにそっと寄り添ってくれたり、優しい一言を掛けてくれる人が大切で。結果的に何処かでGive & Takeになっているのかもですけれど。
どんなに立場の良い人であろうが悪い人であろうが、対等な信頼関係が自分にとっては大切で。傍から観たら異端児なのでしょうけれど。
信頼関係って、そこら辺なのかと思っています。誰かを利用しようなんて魂胆は馬鹿々々しく。
なので、身内であっても距離を置いていた人が自分は何人か居ます。それでも困っていたら手を貸していましたが。

今回の皇族の結婚相手の母親については、報道により次から次へと問題が露わに。その報道も何処まで事実なのか分からないのですけれど、過去の案件はご本人達も否定できない状況で、現在進行形もあったりで。
世間の誰からも知られる存在になったにも関わらず、相変わらず詐欺的な手段で収入を得ているのは病気に近く。バレたらどうするの?って感覚が無いのだか。
既に二十代後半の息子も、そんな母親に何も言えないのだか。自分だったら距離を置くのですが。

恋は盲目。とは言いますが、他にもっとまともな人は幾らでも居るだろうに。
報道によると、今回の件は駆け落ちに近い行動らしく。
結ばれる二人とも、この歳まで普通の社会人生活や普通に働いて収入を得る経験が無く。
お嫁さんは皇族のままであれば生活が保障されていたような立場。家を捨てて出ていくからには相当な覚悟があったと思います。
ただ、その先で何かあったとしても帰り道は無い様子。
あの映画の最後の手紙みたいになってほしくはないなぁと。

15年ほど前に皇居近くの神社のお祭りに参加したことがあります。その年の神輿担ぎはかなり特別で、皇居の中まで担がせて頂いて。神輿の渡御中、靖国通りを横切る場面では何と車両通行止めで。
自分はその地域の氏子でなかったものの、近場の氏子はそれぞれのお祭りで助け合う習慣がありまして。特に都心部の人口減少で担ぎ手が足りない場面では、それぞれの地域から人を出し合う縁があり。
この助っ人的役割、血の気の多い訳の分からない人が紛れると問題に発展することが少なくなく。なので、元々助け合った地域同士は安心感があって。
特に半纏に名前が入っている人は馬鹿な真似をしたら直ぐに誰なのか分かってしまうので、そんなことはしないし出来ません。当然その半纏を訳の分からない奴に貸すことも無く。そもそも訳の分からない人は町で自分の名入りの半纏など作れません。町の名を穢すことにも成りかねず。
(一度だけ貸してくれと見ず知らずの人に言われたことがあるのですが、断りました。その人は後から問題を起こしていました。渡御中、手前で担ぐ若い女性の胸を揉んだそうで。これ、自分の名入り半纏を貸していたら恐ろしいことになっただろうなと)
当初はそういったルールを知らなかった自分でして、まして皇居の中でお神輿を担げる機会など一生に一度あるかで。
ともかく、得体の知れない奴はこの祭りの和に入れず、知れたもの同志の信頼関係は凄いものがありました。
残念なことに、こういった運用が崩壊してしまっている祭りも中にはありました。ほとんどストリートファイトと化している祭りだったりで、そういったのは自分も関わらない様にしていました。

話が逸れました。
神社の祭事とか神社そのものは、穢れ(けがれ)を好まない伝統があるようです。
それが最初から穢れている人を受け入れてしまうとは。というか、受け入れられないから出してしまうということなのかな。

コメント