SNS

秋葉原のあの大きな事件から13年経つそうです。
当時はその界隈で暮らしていたもので、度肝を抜かれました。

今朝、事件の記事を観掛けたのですが、死刑判決を受けた犯人はSNSでの交流が拠り所だったそうです。
そのSNSでもトラブルが重なって、犯行に至ったとも。
それが原因だったとしても、だからといってこんな大それた事件を起こすのは理解に苦しみます。
全く関係の無い第三者を何人も殺める理由など、そもそも無いと思いますが。

自分はインターネットを比較的早い時期から利用していました。
1995年くらいからでしたが、それ以前にもパソコン通信を利用していて。
SNS等の利用も早い時期から経験していました。
特に、1998年くらいまでの利用者に一般人は少なく、何らかの専門性を持った方が多かった記憶です。
SNSで知り合えた方は、何方も刺激的でした。また、二十代中盤の同世代の方が比較的多かった印象です。
結果的に、今でも連絡を取り合える仲の方が何人か残っています。
ただ、SNS内だけの知り合いというのは結果的に残っていません。必ず一度はお会いしていました。

2000年以降はごく普通の人でも何らかのカタチでインターネットに触れる機会が増えていました。
正直、インターネットの醍醐味が薄れたのもこの頃からでした。法整備も進んでいましたし。
それまでは、ここだけの話的な危険な話題も普通に出回っていました。

その後も何かしらのSNSを自分はいつも利用していました。
結果的に自分なりのルールを設けてしまいました。
SNSだけの繋がりの個人アカウントは基本的にフォローしない。

実際に会ってみたら、キャラクターが全く異なった人も居たりでした。悪い意味で。
逆に、実際に会った方が面白かった人も居たりで。
ともかく、SNSで人の輪を広げ過ぎてしまうと情報量が半端でなくなり、そのほとんどがノイズみたいなもので。
ここ数年でまた困ったのが、とても素敵な人物だったものの、Twitterでは連日なん十件も似たようなリツイートを繰り返していて。
これがまだ本人の意見だったらマシなのですが、この人は何が言いたいのかよく分からず。ご本人の興味ある分野なのは分かるのですが。(自分は全く興味なく)

あと、絡まれ過ぎるのも結果的に気が重くなってしまいます。
結局のところ、ある程度の距離感を保てない方とは長続きしないなぁと。
これはSNSに限らずだと思います。

秋葉原の事件の犯人にしても、SNSという道具や手段に依存し過ぎたのかなぁと。何だか目的のような扱いで。
心地よい距離感って、人それぞれなのかも知れませんが、近過ぎても遠過ぎても問題ありそうです。
それ以前に、この犯人は承認欲求が無駄に強すぎたのかも知れず。誰かに認めてもらいたいといった。

誰にでも承認欲求はあるのかもしれませんが、そんなのは押し付けるものではないですし、一部の人に理解してもらえるだけで十分そうです。
比較にはならないかも知れませんが、自分の冗談は専門性の高い分野ベースなのが多く、僅かな人にしか分からないのも多く。ただ、それを知っている方からは好評だったりします。
万人ウケをそもそも狙っていないというか。点取り占いにしても「ナニコレ?」で全く興味さえ示さない方が過半数かと。あれはツボにハマるとかなり面白いのですが、全員に理解してもらうこと自体無理あります。

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