夜のテレビ番組

昨夜のこと某テレビ番組で脱サラ関連の特集が。
人生百年時代、定年の無い働き方的な趣旨でした。
具体的な例が幾つか取り上げられていましたが、あまり参考にならなかった感です。

スマホを触りながら斜め読み的な感覚で観ていた番組だったので、見逃した点はあったかも知れませんが。
五十代で大手企業を離れた方はイチゴの栽培の見習い中。ご家族も居る中、無給奉仕の見習いが二年続くそうで。
大手企業の早期退職金だか生活支援だかで当面は生活に支障が無いそうです。
まぁ、現在進行形の方で結果がどうなるのかはこの先の話。農家としての独立を考えているのでしょうけれど。
出来るものなら、その後がどうなるのかまで収録してほしかったです。

そして、もう一つ気になった点は、当面の軍資金が十分にある点でした。
独立して生きてい行きたい人とか、雇われる機会が無い人とか、いま切実な状況の方というのはこういった軍資金がほとんど残っていなそうです。
スタートの時点で条件が異なりすぎます。
二年も無給で見習いなんて無理でしょうし、何かのフランチャイズを始めるにしても上納金なんて準備できないでしょう。

サブタイトル的に「好きなことして生きる」というテーマは、ちょっと面白かったです。
上記のイチゴ栽培は趣味の園芸の延長線上でしたし、もう一人紹介された若者は写真撮影の趣味を仕事にしたそうで。
ただ、それで食べていける保証がやはりまだ無いといいますか。
だいたい、「これが儲かる」みたいな流れが表に出てくると、同業は増える一方だったりです。あっという間に過当競争で潰しあいになりかねず。
昨年あった「マスクの品薄」で一山当てようとした方は巷に溢れていたかと。平時は五百円で販売されていた箱マスクが十倍近い値段で販売されたり。
最も品薄だった頃は仕入れ値も高かったそうで、売れたにしても儲けは薄かった様子です。そして、闇で仕入れた製品の品質は怪しげでしたし。
法規制も意外に早く入り、転売自体が難しくなりましたし、普通の店頭にまともなマスクが戻ってきた頃に、出所不明の箱マスクは叩き売り状態でした。
一山当てようとして結果的に大量の在庫を掴まされた方は多かったと思います。あのビジネスでは損した人の方が多かったのでは?と思われて。

点けっぱなしにしていたテレビで、たまたま観たその後の番組の方が共感出来ました。
国内で人気の歌い手さんの特集でした。
インタビューに対して模範的回答と全く異なる意見も。
ライブなんて緊張するしドジは許されないし、さっさと終わってほしい毎度だそうです。逆にそれが終わった後のカラオケの方がリラックスして歌えると。
「一緒に楽しもう!」なんてステージで意気込む歌手が多いイメージでしたが、本音はこっちかなぁと。
今回登場したこの歌い手さんにしてもデビューからしばらくはヒット曲に恵まれず、苦労した期間は短くなかったそうです。
売れるようになって、表に出れる機会に感謝しているとは思えますが、それでもやはりこうなるよなぁと。

随分昔に、ラーメン二郎創業者のインタビュー記事を読んだことがあります。
あの方も苦労しての現在があるそうですが、理想は「カウンターに金だけ置いてさっさと帰ってくれ」だった記憶です。
その記事を探したところ、見つからず。
面白い内容だったのに。お茶の水近辺の立派なホテルの社長さんが学生時代に卒論で書いた内容だったハズ。
何故かそのホテルのホームページの片隅に、そんな記事が隠れていて。

検索したところ、そのホテル「お茶の水セントヒルズ」は昨年営業終了していたそう。
コロナ禍にオリンピック延期が、設備投資を裏目に出させたらしく。

対象の記事はこうでした。
「ラーメンなんか食わなくってもいいって言うんだよ。金だけ置いていってくれればよ」
ホームページも既に閉鎖されていたのですが、インターネットアーカイブ上には残っていました。
なかなか読み応えのある記事です。

追記:
ダラダラと長文にしたくないものの、色々と思いが膨らんでしまいまして追記です。
六年前に暮らしていた神田明神下界隈からセントヒルズホテルまでは徒歩五分程度でした。立派な外観に内装も綺麗だった割にはリーズナブルな宿泊費だったそうで。
いつか宿泊してみたいとは思ったものの、いかんせん自宅から近過ぎまして、自分が宿泊する理由などなく。
ただ、柴又に引っ越して以降は「将来また神田祭のお手伝いが出来る機会が訪れたら、その時はここを使ってみよう」と思っていました。

上記リンクの記事は昭和の終わり頃のインタビューなのですが、色々と意外性がありました。当時のラーメンの一般的な値段は500円くらいだったと思います。
そんな中、あの量であの立地で250円でラーメンを提供していたとは。
金だけ置いてけという割りにはかなり良心的な値付け。自分が初めて二郎の三田本店に伺った際も、値段は450円程度だった記憶です。既に二十年近く前ですが。
令和の現代、ラーメン二郎の店舗は既に数十軒まで膨れ上がっています。コロナ禍の影響はあるものの、お店を開けていれば相変わらずの行列です。
あの立派なホテルも、何処かしらでラーメン屋のオヤジの影響を受けていたからか、社長はHomepageの片隅にお守りのように昔の文章を載せていたんだろうなぁと。

昨夜のテレビ番組から綴った記事、相変わらずヘンテコな流れに陥った感です。

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